いつだか分からないが、ある時点で頭の中でスイッチが入った。数年前に僕が学校で行った発表会のビデオを誰かが発見した。そこには先生がいて、僕らがやりたいことについて書かせると、クラスメートの前に出て、自分たちなりの小さなプレゼンテーションをさせた。フットボーラーになるという自分の夢について話していたが、不思議なことに僕は10歳か11歳のときに、すでに今言っているようなことを話していた。
「僕にとって成功とは、他人のやり方ではなく、自分のやり方で実現することだ。僕が何をどのようにするかは誰にも決められない」
「失敗しても、成功するまで続ける」
「不可能はない。不可能なことは可能にするには少し時間がかかるだけだ」
今でもあのビデオを見ると感動する。あの少年は本当に自分の夢を強く想っていたのに、今の自分は本当に申し訳ない気持ちになる。
5年後、その少年はアタランタでプレーするためにイタリアに移住した。
イタリアでの日々は順調だった、と言いたいところだが、ここでは本当のことを言わなければならない。最初の半年は何度も家に帰りたいと思っていた。選手登録の問題もあり、怪我もあり、1年間試合に出られなかった。僕はベッド、テレビ、トイレのある小さな部屋に住んでいた。1日7時間学校に通っていたが、何も理解できなかったので、退屈しながらそこに座って韻やフットボールのフォーメーションを書き留めていた。家に帰ると何時間もテレビを見たり、母親と話したりした。
「今日はどうだった?スウェーデンはどう?何してるの?」
母とは毎日話した。母のカティカはマケドニアで生まれ育ち、父と同じように家族をとても愛している。今でも毎日話している。僕がこの記事を書くことを話したら、母は「バカなことを言わないでね」と言っていた。
僕がイタリアにいたとき、母は「スウェーデンの家に帰ってきなさい!」って言っていた。でも、僕はノーと答えるだけだった。
誰だって諦めることはあるが、みんなと同じことはできない。
踏ん張るしかなかったんだ。