スパーズ・ファンへの手紙 – デヤン・クルゼフスキ

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親友のジョエル・アソロの存在には、神に感謝する。僕らは子供の頃から一緒にフットボールをしており、イタリアにいたときは、徹夜でオンラインでPlayStationマラソンを開催していた。僕らはヘッドセットを装着してSkypeに接続し、プロクラブやNBA 2Kをプレーした。僕のパークは僕らの生活そのものだった。僕らは最弱だった!30連敗を喫した。「はぁ、こいつら何者だ?」と思った子供たちもいたはずだ。

さて、僕らが何者かを説明する。ジョエルと僕はグラインダーだ。僕らは止まらない。ジョエルは今、リーグ・アンのメスでプレーしているが、当時はサンダーランドでトップチーム入りを目指していて、毎晩お互いに盛り上がったものだ。

ジョエルは「今日のトレーニングでこんなクレイジーな動きをしたんだぜ」みたいな感じだった。

そして僕は「おお、極めたな。いいか、数年以内に僕らはスウェーデン代表でプレーし、それで皆殺しだよ」と調子に乗っていた。

イタリア語を学んだら状況は良くなった。アタランタのトップチームでトレーニングを始めたとき、自分はフットボーラーになれると本当に信じ始めた。そこは狂ったチームだった。僕は人生の中で彼らのようなチームプレーを見たことがない。1シーズンで100ゴールも決めたので、そこでキャリアをスタートできたことをとてもうれしく思っている。

シニアチームでの初の試合では良いプレーができた。

2試合目はダメだった。

3試合目もまたダメだった…そして外された!

彼らは僕をU19チームに送り返した。僕は、何が起こったの?ダメってこと?って感じだった。誰もが僕が喧嘩か何かをヤラかしたと思っていた。僕がU19チームとプレーしたとき、周りは「ああ、彼はもう全力を出していない」と感じていた。何か理由があるんだろう。一部からは「まぁ、もうダメだろうな」と言われていた。

でも、誰もが僕を見放したとき、それが神が僕に最大の力を与えてくれる時なんだ。

2019年の初めのことだったが、それからの3ヶ月間、僕は信じられないようなフットボールをした。もしチームが負けていたら、部屋に戻って小さなボールを持って1時間ドリブルをして、J.コールの曲を大音量でかけて、腕立て伏せを100回するつもりだった。U19のカンピオナート・プリマヴェーラ1で21年ぶりに優勝した。それから僕はパルマにローン移籍し、セリエAのシーズン最優秀若手選手に選ばれ、ユベントスと契約した。

何と言えばいい?僕はインスピレーションを受けやすいんだ。

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