アンジ・ポステコグルー – トッテナムの重鎮となりうるギリシャからやってきた少年

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セルティックでの3冠達成という物語であっても、そもそも彼がどのようにこのクラブにたどり着いたかという物語に匹敵するものではないだろう。

「両親が歩んできた人生は信じられないものなんだ」

「若い家族を地球の裏側まで連れて行ったんだよ。30日かかる船で、言葉も通じない、知り合いもいない、家もない、仕事もない国まで連れて行くなんてね」

「普通は、より良い生活のために海外に出るものだよ。私の両親の場合は、より良い生活をするためではなく、私がより良い生活をするための環境を探すためにオーストラリアに行ったんだ」

5歳年上の姉のリズは、メルボルンでの最初の数ヶ月をアンジ・ポステコグルーのドキュメンタリー「The Age of Ange」のインタビューで次のように振り返っている。

「両親は2人の小さな子供の世話をしながら、スーツケースだけを持ってここにやって来たんです」

「母親であるヴーラは大変でした。夜な夜な母の泣き声が聞こえてきたのを覚えています」

ポステコグルーの父、ディミトリス(通称ジム)は働き者だった。早起きして、遅くに家に帰ってきて、愚かなことは一切しなかった。サッカーは彼の逃げ場であり、救いでもあった。

日曜日には息子を連れて、ギリシャ系移民のために設立されたクラブ、サウス・メルボルン・ヘラスに通っていた。午前中は教会で、午後はフットボール。それが生活のリズムになっていった。

「子供の頃、私はただ馴染みたかったんだ。他の国からやってきて、誰も口にできないような長い苗字を持っていることが、あまり好きではなかった。少年にとって、社会に溶け込むための最良の方法はスポーツだったんだよ」

ポステコグルーは振り返る。

サッカーは単なる遊びではなく、彼のヒーローである父親と絆を深めるための唯一の機会だった。

そのドキュメンタリーの中で、彼が昔のコミックや本を読みふけっている姿が映し出されている。

「なぜそれ(コミックや本)をとっておいてるかって。私の子供時代がどんなものだったかを思い出させてくれるんだよ。オーストラリアにはない、ファンタジー・フットボールの世界で生きていたんだ」

アンジェロス、アンジー、そしてアンジと呼ばれていたサッカー時代の映像がある。

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