アンジ・ポステコグルー – トッテナムの重鎮となりうるギリシャからやってきた少年

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数年前にこの逸話についてポステコグルーは次のように語っている。

「ギリシャ人は名前を短くするのが当時の流行だったんだ」

「私はその名前が好きではなかったし、使うこともなかった。私は自分の経歴を誇りに思っていたが、最初のパスポートと最初の運転免許証については、どうすることもできなかったんだよ」

土曜日、ポステコグルーは、2021年夏に日本からスコットランドにやってきてから挑んだ、6つの国内タイトルのうち5つ目を獲得した。日曜日には、トッテナム・ホットスパーとの交渉が始まろうとしていることが明らかになった。

セルティックの監督がたくさんのタイトルを獲得することは目新しいことではないが、彼の場合にはこれまでとは何か違うものがある。

ポステコグルーは、例えばブレンダン・ロジャースのように、微調整が必要なチャンピオン・チームを受け継いだわけではなかった。ポステコグルーが就任する前のシーズンは、リーグ10連覇を目指したセルティックが25ポイント差でライバルのレンジャーズに敗れ、クラブの周囲に立ち込めた音楽は悲惨なものだった。

さらにスコティッシュ・カップでもレンジャーズに敗れ、リーグカップではロス・カウンティに敗れて、激しい抗議と解任を叫ぶ横断幕が掲げられていた。雰囲気は毒々しかった。多くのファンが幻滅を口にした。彼らは、その状況を受け入れることを強いられ、無視されていると感じていた。

ニール・レノンは解任された。長年の最高責任者であったピーター・ロウウェルは、辞任の意向を表明した。後任の最高責任者はドミニク・マッケイで、2ヶ月間勤めた後に原因不明の理由で退団した。

クラブは長きに渡ってエディー・ハウの招聘に動いていた。次の監督になることを承諾してくれるのを待ち続けたが、数ヶ月後、彼は断った。そしてサポーターの雷が鳴り響いた。

2021年2月下旬にレノンが解任されてから100日以上経過しても、セルティックには正式監督がいなかった。ファンは怒りは頂点に達していた。疲弊したチーム戦力の総点検が必要だった。しかも迅速にだ。セルティックには、まったく新しいチーム戦力が必要とされていた。

そこにポステコグルーがその冷静な集中力と、選手を見極める確かな目をもって登場した。そして、あっという間に、事態が改善に向かったのだ。

トッテナムから声がかかる前から、ポステコグルーがやってきたこと、つまり、優れた選手補強、攻撃的なプレースタイル、情け容赦のないチームの戦う姿勢、グラスゴー・フットボールの喧騒の中での冷静さを、多くの人が刮目していた。しかし、本当に興味深いのは彼の魂であり、それは彼のバック・ストーリーに見つけることができる。

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