ピエール・エミール・ホイヴィアがバイエルン時代の死期が迫った父親の看病の日々を明かす

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16歳までにピエール・エミール・ホイヴィアは、典型的なフットボール選手としての経歴の一つを辿っている。スパーズとデンマーク代表で活躍するミッドフィルダーは、若くしてバイエルン・ミュンヘンにその才能を見出され、家族と離れて国外への困難な移籍を経験した。

しかし、当時ガンと診断された父親のクリスチャンも、化学療法を受ける期間、10代の息子と一緒に過ごすためにドイツに移住した。

そこで突然、17歳のフットボールでプロを目指す青年は父親の介護も担うことになったのだ。

BBCの番組Football Focusの取材に応じたホイヴィアは、その経験、父の死、そして今も心に残る「傷」について語っている。

「それまで父はいつも僕の面倒を見てくれていたのに、突然、僕が父の面倒を見なければならなくなったんだ」

「料理をして、ベッドに寝かせて、薬を飲ませ、そういうことをすべてやっていたよ。そういった経験が少し傷として残ってるんだ」

「それでも、望み通りにはいかず、父は(2014年)4月に亡くなってしまった。僕はそのシーズンを終える頃に、カップ戦の決勝に出場し、代表デビューも果たしたんだ。フットボールにおいては大躍進のシーズンだったけど、人生においてはとても落ち込んでいたんだ」

「モチベーションを上げるのが大変だったね。実はこの話をしたのは、初めてなんだ」

16歳で単身ドイツへ

地元コペンハーゲンを中心に活躍した少年時代のホイヴィア

地元コペンハーゲンでサッカー選手としての道を歩みはじめたホイヴィアが、地元のダービーマッチでプレーしていたとき、ブンデスリーガの強豪バイエルン・ミュンヘンのスカウトがホイヴィアの潜在能力を見抜いた。

その半年後、彼は「生活のすべて」をドイツに移した。

「空港には、父と母がいたね。車で送ってくれた両親とはエスカレーターでお別れして、そこで僕は手を振っていた。その時、僕は泣いていたかもしれないね」

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