「でも、僕はその先のチャンスを楽しみにしていたので、気持ちを強く持ち続けることができたんだ。自分自身について多くを学び、いつもなんとなく夢見ていたこのフットボールの世界について多くを学ぶことができたので、実際にとても感謝してるんだ。母が大変だったことは覚えているよ」
「父はいいチャレンジになると思ったようだけど、僕に『学校は続けろ』と言ったんだ。それだけが約束だった。でも、行かなかったけどね。その話は置いとこう!」
「16歳、17歳という年齢で、国外に出るということは、自分の居場所や友だちと別れることになるので、少しは心に響くものがあるよ」
悲しくて悔しくて腹立たしかったガンの診断
2012年7月にバイエルンと契約したホイヴィアは、父親が病気になるまでの1年間をミュンヘンで過ごした。
そして2013年4月、バイエルンのユップ・ハインケス監督が、17歳と251日のホイヴィアをトップチームでデビューさせた。その時点で、クラブ史上最年少でデビューした選手となった。
当時をホイヴィアは振り返る。
「(2013年)8月の初めに怪我をしたことを覚えているよ」
「僕は『2週間はプレーできないなんて、すべてが最悪だ。僕の人生は終わったんだ』と思ったね」
「2~3日後、父から電話がかかってきた。父にしてみれば話すのが本当に大変だっただろうね。父はとても物静かで多くは語らなかった。でも、電話越しに留まっていたんだ。僕が『どうしたの?』と聞くと、『よくないことだ』と答えた。ガンを患ったんだ」
「僕はとても悲しかったのを覚えているよ。とても悲しかった。苛立ったし、怒りも覚えた。僕は故郷から遠く離れていたので、だいたいのことはわかったんだよ」