クラブの元選手であり、監督であり、最高経営責任者であるテリー・ヴェナブルスの訃報に、私たちクラブ一同、深い悲しみに暮れています。享年80。
スパーズで1967年に選手として、さらに1991年に監督としてFAカップで優勝を果たしたテリーは、1966年にチェルシーから加入し、1969年にQPRへ退団するまで公式戦141試合に出場し、9ゴールを記録しました。
しかし、彼が最も記憶に残るのは監督としてのキュリアです。1975/76シーズンにクリスタルパレスで指導者としての第一歩を踏み出したテリーは、1976年にマルコム・アリソンの後任として監督に就任し、1980年にQPRに戻り、その後、バルセロナの監督に任命され、「El Tel(エル・テル)」の愛称で親しまれ、1985年にラ・リーガとコパ・デラ・リーガを制覇しました。また、1986年にはバルセロナをヨーロピアンカップ決勝に導きましたが、そこでステアウア・ブカレストに敗れました。
テリーは1987年に監督として故郷であるホワイトハート・レーンにに戻り、ゴールキーパーのエリック・トールストヴェット、キャプテンのギャリー・マバット、天才ミッドフィールダーのポール・ガスコイン、イングランドの偉大なストライカーであるギャリー・リネカーらを中心にチームを構築し、1989/90シーズンには旧1部リーグで3位の成績を残し、1991年にはFAカップで優勝しています。
テリーは1994年にイングランド代表の監督に就任し、スリー・ライオンズをユーロ96の準決勝に導きました。同大会では、ウェンブリーでオランダを4-1で破った試合が有名ですが、準決勝でドイツにPK戦で惜しくも敗退しました。その後、オーストラリアに渡り、再びパレス、ミドルズブラ、リーズ・ユナイテッドで指揮を執りました。
幼い頃からスパーズ・ファンだったテリーは、ロンドン東部のダゲナムで生まれ、1958年にイングランド・スクールボーイズでプレーし、その年の後半にチェルシーとアマチュア契約を結びました。1960年2月6日のウェストハム戦で17歳でフットボールリーグ・デビューを果たし、すぐにイングランドのユース代表とオリンピック代表に選ばれました。