トッテナム・ホットスパーのフットボーラーが私の義父の命を救った理由

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この試合には、ヘルマン・ゲーリング(ナチ党の最高幹部で総統アドルフ・ヒトラーの後継者)、ルドルフ・ヘス(国家社会主義ドイツ労働者党副総統、ヒトラー内閣無任所大臣)、ヨーゼフ・ゲッベルス(ナチ党政権の国民啓蒙・宣伝大臣)などが観戦に訪れたが、イングランドの勝利よりも、イングランド代表チームが試合開始前にナチス式敬礼をしている光景が印象に残っている。

キックオフの数時間前、FA(イングランド・フットボール協会)の理事で後にFIFA会長となるスタンリー・ラウスが、イングランド選手団に、ホスト国ドイツへの敬意を表すためにナチス式敬礼をすることが求められていると告げたのだ。

選手たちは激怒し、駐ベルリン英国大使のネビル・ヘンダーソンが間に入り、敬礼は儀礼的なもので、ナチス政権を支持するものではないことを説明しなければならなかった。

ヒトラーを自分の元カノと比較して「元カノの方が口ひげがふさふさしている」と言ったとされるキャプテンのエディー・ハップグッドは、「ナチ式敬礼は、日の当たらないところに置いておけばいい」と言ったと伝えられている。

試合終了後、ロルフ・フリードランドはイングランドの選手たちがスタジアムから出てくるまで出待ちをし、イングランドの左サイドバック、バート・スプロストンに近づいて、イングランドに招待してくれるよう懇願した。

当時トッテナム・ホットスパーに所属していたスプロストンは、ドイツ人が嫌いだったようだが、イングランド北西部の訛りで、当時、次のようにインタビューで語っていた。

「僕はただのリーズからやってきた労働者だよ。政治とかそういうことは全然知らない。知っているのはフットボールだけだ。でも、俺が思うに、このヒトラーという奴は、邪悪でチビの馬鹿野郎だね」

帰国したスプロストンは、トッテナムの協力を得て、すぐにFAに出向き、その年の10月26日にノースロンドンのハイベリーで行われるイングランド対世界の試合のためにロルフをイングランドに招待する許可を得た。

1938年にロルフ・フリードランドが2週間の英国訪問を許可したビザ

必要な書類が許可され、発行された。1938年10月22日、フリードランドはドイツを出発し、4日後にイングランド東海岸のハリッジ港に到着した。

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