スパーズとレンジャーズのウォルター・タル・メモリアルカップをかけた親善試合 [SpursOfficial]

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土曜日にスコットランドのグラスゴーにあるアイブロックス・スタジアムで行われるプレシーズンマッチでレンジャーズと対戦するトッテナムは、「ウォルター・タル・メモリアルカップ」をかけて戦うことになります。

このトロフィーは、英国で初の黒人フィールド・プレーヤーであり、第一次世界大戦中の戦死により選手生命を絶たれた両クラブにゆかりのあるウォルター・タルを記念して勝者に授与されます。

前回、両チームが対戦した2004年のプレシーズンのフレンドリー・マッチの際にこのトロフィーは初めて授与されており、今回の試合の後に、同じく両クラブの元選手で、ウォルターの素晴らしいキャリアが道を開き、その後に続いた多くの黒人選手の一人、ジャーメイン・デフォーから勝利チームのキャプテンに贈られる予定です。

ウォルターは1909年3月にクラプトンからスパーズに入団し、その後トップチームで10試合に出場。同年9月の3-1で敗れたサンダーランド戦に出場し、英国で初の黒人フィールドプレーヤーとなりました。

1911年10月にノーザンプトン・タウンに移籍するまで、スパーズでトップチーム以外の試合にも数多く出場し、1910-11シーズンにはリザーブチームがサウスイースタン・リーグでタイトルを獲得するのに貢献しました。そこで彼は伝説的な存在となり、1914年の戦争勃発までに110試合に出場しています。

第一次世界大戦で、ウォルターはミドルセックス連隊の第17大隊に入隊し、1915年11月18日にフランスの前線に送られ、凄惨極まるいソンムの戦いに参加しました。

前線を離れていた間、ウォルターは1917年2月2日にレンジャーズと契約しましたが、残念ながらジャーズででプレーすることはありませんでした。

彼は3ヵ月後に少尉に任官し、その過程で英国陸軍初の英国生まれの黒人の戦闘将校になりました。ソンムの戦いから戻った彼は、「ノーマンズランド」(軍事対立の中間のいずれの勢力によっても統治されていない領域)で部隊を率いていましたが、1918年3月25日、29歳の若さで銃弾に倒れています。

ウォルターは死後、英国戦争勝利勲章を授与され、昨年、英国国立フットボール博物館の殿堂入りを果たしています。

スパーズでは、クラブ財団が地元の学校の子どもたちを対象に、ピッチ内外で活躍した彼の素晴らしい経歴に焦点を当てたワークショップを開催しており、彼の遺産は今も生き続けているのです。

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