テリー・ニールの訃報 [SpursOfficial]

この記事は約2分で読めます。

元監督のテリー・ニールが80歳で亡くなったとの報を聞き、クラブ一同は悲しみに暮れています。

1974年9月、テリーはビル・ニコルソンの後任として我々の監督になるという難しい仕事を任され、1976年夏に辞任するまで2年弱、ホワイトハート・レーンで指揮を執りました。

1942年5月にベルファストで生まれ、バンガーFCでキャリアをスタートさせ、1959年12月にアーセナルに移籍。18歳でトップチーム・デビューを果たし、20歳で史上最年少のキャプテンとなりましたが、この記録は現在も続いています。アーセナルでは275回出場し、ハイベリー在籍中に北アイルランド代表として44キャップを獲得しました。

1970年6月に選手兼監督としてハル・シティに入団し、1971年10月には北アイルランド代表として同様の役割を担い、タイガースでリーグ戦100試合以上に出場、さらに15キャップを獲得した後、現役を引退して監督業に専念することになりました。

テリーは、ビル・ニコルソンの辞任に伴い、我々クラブの監督に就任しました。最初のシーズンは、当時ヨーロッピアンカップのファイナリストだったリーズ・ユナイテッドに最終節に勝利して降格を免れるという難しいものでしたが、1975/76シーズンには有望な兆しを見せました。テリーの若い才能の導入方針が功を奏し、1部リーグを9位で終え、リーグカップの準決勝に進出しています。

1976年5月、シーズン終了後の遠征で、オーストラリアのノーザン・ニューサウスウェールズ戦に途中出場し、選手としてスパーズのユニフォームを着ましたが、それから数週間のうちに監督を辞任してしまいました。

1966年9月、ノースロンドン・ダービーでジミー・グリーヴスと対戦するテリー・ニール

その後、7年間アーセナルの指揮を執り、1978年から1980年まで3回連続でFAカップ決勝に導き、1979年には優勝、1980年のヨーロッパ・カップウィナーズ・カップ決勝ではPK戦で敗退しました。

1983年に41歳でフットボールの現場を退いた後は、ラジオの解説者を中心にメディアで活躍し、サンドラ夫人とともにロンドンでスポーツバーを開業・経営する一方、ビジネス開発者としても成功を収めています。

Terry Neill | Tottenham Hotspur
We were saddened to hear of the passing of our former manager, Terry Neill, who has died at the age of 80.
この記事を評価する
タイトルとURLをコピーしました