/マウリシオ・ポチェッティーノのルーツから成功の秘密の数々がここに明かされる

マウリシオ・ポチェッティーノのルーツから成功の秘密の数々がここに明かされる

 

トッテナムのアイコンでもあり都会のエリートから外れた農家の出であるリッキー・ビジャはこう評している。

「ブエノスアイレスはフットボールにおいての大都市である。コルドバとロザリオは一段劣るね」

確かにロザリオはリオネル・メッシを輩出したが、その他に誰がいるのか?

Pochettino shows his uncompromising style by clattering Sweden's Henrik Larsson in their 2002 World Cup clash

だがやがて、1980年代後半から1990年代前半にかけてニューウェルズはリバープレートやボカ・ジュニアーズのようなクラブを脅かし始め、アルゼンチンのフットボール界は彼らに注目するようになった。

ホセ・ジュディカ監督のもと1988年にはリーグタイトルを獲り、南米におけるチャンピオンズリーグであるコパ・リベルタドーレスで決勝に進んだ。その翌シーズンに若きセンターバッグがデビューを飾ることになる。その数年前には農家の子供だった少年が良い活躍を見せた。彼の傍らにはミキ・ダゴスティーノ(現在ポチェッティーノのコーチングスタッフ)がいた。旧知の友人である。二人は、かなり粗末なドミトリーに一緒に住んでいた。冬は寒さに凍え、夏はうだるような暑さに耐えなければいけなかった。そのユースの宿舎はクラブのスタジアムのメインスタンドの下に設置されていたものだ。

当時のニューウェルズはホームグロウン(地元出身)の選手で占められていた。スター育成者としてグリッファはアルゼンチンのフットボール界で伝説的な存在である。その功績は彼が発掘した選手たちを見れば明らかだ。ニューウェルズにおいてはヘラルド・マルティーノ、ガブリエル・バスティトゥータ、そしてポチェッティーノである。

後にはマクシ・ロドリゲス、ワルテル・サムエル、そしてガブリエル・エインセ、ボカ・ジュニアーズに移籍してからは、カルロス・テベスなどを育て上げている。1986年のワールドカップ勝者にして元レアル・マドリーの監督やテクニカル・ダイレクターを務めたホルヘ・バルダードは、グリッファについて「アルゼンチンにおける育成の権威の一人」と評している。

Pochettino is a keen believer in the strength of English players and promotes them, such as Kieran Trippier (centre)

バルダードによればポチェッティーノが中心だったニューウェルズのチームは「育成に関していえば名誉ある集団」として位置づけられていた。南米におけるアヤックスのような存在だ。

それがポチェッティーノを育んでいった環境である。厳しく、虚飾のない、ハードワークを基本としつつも、技術や戦術的な能力をも重んじる。他に類を見ない文化である。どれだけ多くの選手がアカデミーからトップチームに上がったかを考えると、監督もファーストチームへと昇格させるのは理に適っているように見える。かくしてビエルサは1990年に大役を掴んだのだ。