/タンギ・エンドンベレ:自宅ドアの前に現れたモウリーニョ、レヴィ会長の信頼を振り返る

タンギ・エンドンベレ:自宅ドアの前に現れたモウリーニョ、レヴィ会長の信頼を振り返る

フットボール人生の初期においてパリの様々なユースチームに所属していたが、やがて有名なギャンガンのアカデミーに入団することになった。

しかし、この才能あるミッドフィルダーは実際の年齢よりも上の集団でプレーする機会が多く与えられたが、トップチームに到達する直前に放出された。後に、チームメイトやコーチ陣は、当時のエンドンベレが他の選手たちのような意欲が見えなかったと語っている。

他クラブからも、才能は確かだが不適切な体格であるとトライアルを受けても契約を結ぶまでの評価を得られず、最終的にはアミアンまで活躍の場を落とすことになった。

アミアンはフランスの5部リーグであったが、エンドンベレはそこで自分のフットボールの運命の主導権を取り戻し、自らをファイターに変えたのだ。

「あそこで僕は打たれ強さを身に着けたんだ。若い頃は決して簡単にはいかないし、パリでは良い選手がたくさんいたからね。でも毎週、そんな選手たちと対戦することでレベルが上がっていったんだよ」

「もうダメかもしれないと思った時もあったけどね。若い時は、あまり深くは考えないのさ」

「若いころはがむしゃらにプレーして、みんながプロになりたいと思っているのさ。17歳、18歳の時にギャンガンを離れた頃は本当につらい時期だったかもしれないけど、当時は『このままではいけない』と心に言い聞かせんたんだ。今の自分があるのは、そこで一生懸命頑張れたからだよ」

そこには両親のサポートもあった。エンドンベレの父親はいつもタッチライン際で声を出して声援をおくり、母親は息子が地に足の着いた人間になるように助けていた。