私はユダヤ人のフットボール・ファンであり、スパーズを応援することに誇りを感じている

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私たちは何世紀もの間、自分たちのことを「Yids(イズ)」と呼んできた。不快なのはその言葉ではなく、それが使われる文脈なのだ。

告白しよう。私は罪滅ぼしのためにトッテナムのサポーターになった。地球の裏側に住む11人の見知らぬ人々の運勢に、自分の感情が左右されるのはとてもつらいことだ。特にスパーズの場合は、かつての偉大な、また偉大になるかもしれないチームが、私の祖父のおんぼろのヒーターのように熱くなったり冷たくなったりするのだ。

私は、本当に、彼らの応援をやめようとした。感情的に自分を切り離し、そのドーパミン・ジェットコースターから降りようとしたことがある。しかし、そのたびに「チャンピオンズリーグ決勝進出!」とか「ベイルが帰ってきた!」とかいうニュースが飛び込んでくるのだ。「アントニオ・コンテが監督に就任した!」とかもそうだった。そして、まるで子犬がおやつを与えられたかのように、アドレナリンと、時に恍惚と、そしてしばしば苦い失望に満ちた同じ場所に私は舞い戻っていく。

なぜか?スパーズは「Yid Army」だからだ。そして、私はユダヤ人である。

私の目から見えている世界を理解するために、少し時間をいただきたい。世界中のユダヤ人が言葉の暴力や脅迫の標的にされており、物理的な暴力は言うに及ばず、殺人にまで及んでいる。私はイスラエルに住んでおり、世界で唯一、礼儀正しいかたちで消滅を唱えられる国だ。イランはそのための核兵器を手に入れようと必死だが、他のほとんどの国は無関心で、私たちは肩身の狭い思いをしている。反ユダヤ主義は、今日、社会的に受け入れられる唯一の人種差別の形態である。

だから、数年前に英国を訪れ、スパーズの試合を生で観戦する機会があったとき、周りの人々が突然 「Yid Army!」と叫んだのを聞いて、最初は戸惑い、少し心配にさえなったものである。私は正統派のラビ(ユダヤ教においての宗教的指導者であり学者でもあるような存在)なのだ。私のキッパ(ユダヤ教の民族衣装の一種で男性がかぶる帽子のようなもの)を見ていたのでしょうか?

そして、仲間たちが、かつて反ユダヤ主義がより公然と行われていた時代に、歴史的にトッテナムがユダヤ人を支援してきた背景を説明してくれた。そして、このクラブのファンたちは、実は、私や私の仲間に対する愛と連帯を表現しているのだと気づかされたのである。何万人ものユダヤ人ではない人たちが、事実上、私に「俺たちはおまえの味方だぞ、友よ。俺たちは皆、ユダヤ人なんだよ」と叫んでくれているのだ。

その瞬間ほど、私はスパーズのサポーターであることを誇りに思ったことはない。だから、「Yid Army」のチャントにはまったく腹が立たない。それどころか、大好きだ。

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