/再起を果たしたロチェルソ、スパーズでの新たなる挑戦

再起を果たしたロチェルソ、スパーズでの新たなる挑戦

ジオバニ・ロチェルソ、彼はチームメイトから”リトルモンキー”の愛称で呼ばれ、かつてアルゼンチン・フットボールのルビーと称されていた。今週木曜、彼はトッテナムとその監督であるマウリシオ・ポチェッティーノにとっての貴重な戦力としてスパーズに加入した。

数年前、魔法の左足をもち、かつ青白い顔をしたロサリオ出身の10代の少年は、リオネル・メッシ以来の比類なき才能を持った選手として注目を浴びた。

レアル・ベティスは、仮に完全移籍ならば最大6000万ユーロを得ることができたはずだが、1600万ユーロでの1年契約で世界で最もクリエイティブな選手のうちの一人をスパーズにローン移籍させる決断をした。

ロチェルソの良き指導者であるホルヘ・グリッファは、パブロ・アイマールそしてファン・ロマン・リケルメを模範とするようにロチェルソに伝えたとされる。そして、ロチェルソが一流のアカデミーで知られるグリッファのアカデミーに参加したのは2008年、彼が12歳の頃だった。

グリッファはかつてガブリエル・バティストゥータやカルロス・テヴェス、そしてマキシ・ロドリゲスのような選手の指導に尽力し、同様に若かりし頃のポチェッティーノを指導した経験もある。ポチェッティーノのキャリアはグリッファとともに始まり、彼のニューウェルズ・オールドボーイズ加入はグリッファの説得によるものであった。

ロチェルソはポチェッティーノのホームタウンであるムルフィーから15マイル離れたサルミエントで育った。そして、2010年に彼が加入したのはニューウェルズではなく、そのライバルチームであるロサリオ・セントラルであった。

セントラルはロチェルソが応援していたクラブであり、チームのマスコットとしてチームに関わったり、ボールボーイとしてヒガンテ・デ・アロシートのピッチサイドで試合観戦していたほどチームに深く関わった経験があった。エバートンは早い段階でロチェルソの父に接触したこともあったが、彼は息子に残留するよう伝えた。ちなみに、ロチェルソのニックネームであるリトルモンキーを意味するMonito(モニト)は彼の父が付けた愛称である。そして時は流れ19歳となったロチェルソは見事シニアデビューを果たした。

「僕はスタジアムから5ブロック先のところに住んでいたんだ。」

2016年にロチェルソはアルゼンチンの雑誌エル・グラフィコで自身について語った。

「ファーストチームでプレーすることになって、夢が叶ったよ。」

彼にとってのアイドルはメッシではなくロサリオ出身の左利きフットボーラー、アンヘル・ディマリアで、彼の両親は家族ぐるみの友人でもある。

「僕は彼のことが大好きなんだ、彼はとてもダイナミックなフットボールをするからね。」

ロチェルソは続けて語った。

「彼はゴールを脅かすタイプのウィンガーであり、チームメイトへのアシストもする。そして何より彼からボールを奪うことは本当に難しいんだ。」