/【コラム】マウリシオ・ポチェッティーノの目指したファーガソン王朝は夢の彼方に

【コラム】マウリシオ・ポチェッティーノの目指したファーガソン王朝は夢の彼方に

(ダン・キルパトリック/Dan Kilpatrick記者の回顧録)

マウリシオ・ポチェッティーノはメディアに対して一定の距離を保っていたが、それでも彼の人柄の温かみは感じられただろう。

まさに彼とバッタリ出くわしたときなどは、それは2016年9月のモスクワの赤の広場だったが、お喋りに時間を割いてくれ、エスパニョールで現役だった時の前回の訪問時の写真をスマートフォンの画面で見せてくれた。ちょうどその写真を友人やかつての同僚であるイバン・デラペーニャに送ったところだったそうだ。

その前の夏、2016年7月にはトッテナムのプレシーズンを追うべくメルボルンに出向いた私と他の2人のレポーターに、思いがけなくその類まれな戦術上の妙技を披露してくれたのだ。

MacBookを携えたアシスタントのヘスス・ペレスとコーチのトニ・ヒメネス、ミゲル・ダゴスティーノとともに、ポチェッティーノはビデオを用いて彼の哲学を詳細に説明してくれた。その40分間でポチェッティーノの人柄と監督としての裁量に関して、この5年半の記者会見と同じくらい深く理解できた。

その当時でも、ポチェッティーノの英語は時おりあやしかったが、彼のアプローチや選手たちがなぜそうも喜んで彼の方針に従うのかを完全に納得することができ、その素晴らしさが容易に理解できた。彼は熱意に溢れ、説得力が信じられないほど完璧だった。

そのセッションを通して、最終的にはスパーズの犠牲の上に成り立ったその前年のレスターの「おとぎ話」も含めて、他のプレミアリーグのやり方に対しての素朴な憤りもまた、無視できないものだった。これについては彼は公には何も言っていないし、これからも言及することはないだろう。それはひとえにクラウディオ・ラニエリへの敬意によるものだと推測する。最近、彼の持って回った言い方の公への発言についても、彼は心の中では駆け引きに長けており、彼の後継者よりは確かに気配りに長け、礼節に関する強い感覚を持っているからだ。

チャンピオンズリーグ決勝の前の5月、私と他の3人のレポーターで彼への長時間のインタビューをする機会があった。終わりには私たちの一人一人と温かいハグを交わし、スパーズがリバプールを倒した暁にはトレーニング・グランドで、アルゼンチンの伝統的なバーベキュー「アサド」の席を設けると約束してくれた。あれほどモチベーションに溢れている彼はそれまで見たことが無かった。アサドは、当然だが開催されなかった。

こうした舞台裏での出来事は稀なことだ。だがポチェッティーノは、メディアに対してプロフェッショナリズムを徹底しつつも、常に友好的だった。カメラが回っていないところでは完全にオープンで自身を自由に表現していた。時おりはヘススに通訳を頼みながら。

だが、ポチェッティーノも厄介になるときもあった。時として意味もなくそうなるのだ。メディアに対し頻繁に人の言葉を「曲解している」と非難した。それは少々うんざりするものとなり、特に彼自身の発言がかみ合わない際にはそれを反映していつもそう言っていた。彼は過去の出来事を改竄(かいざん)しようとする傾向があった。時として一週間前や一日前のことですら。全ての偉大な監督と同様、究極に巨大なエゴに基づいた強力な自信の持ち主だ。

ポチェッティーノの気分の揺れはよくあることで、それは彼の人となりとしての強みでもあった。時としてクラブの状態はまさに彼の考え方次第であるかのように感じられた。公に向けたスローガンでその場の雰囲気を高揚させることもできれば、トッテナムの将来に関して落胆した気分に沈ませることもできた。

ポチェッティーノ体制でのリーグ順位

それと同様に、時として彼のメッセージは矛盾しているかもしれない。あるときはクラブを離れるかもしれないと言い、その次の瞬間にはライバルであるアレックス・ファーガソンがマンチェスター・ユナイテッドで築いたような王朝を築きたいとも言った。私はいつも、むしろ後者の方だと感じていた。今となっては、ダニエル・レヴィ会長の考えはそうではなかったという結末になるのだが。

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