/【コラム】ハンドのルールの悲劇は、より深刻な大局から目を逸らしている [The Irish Times]

【コラム】ハンドのルールの悲劇は、より深刻な大局から目を逸らしている [The Irish Times]

ニューカッスルはこの試合の大半をなんとか1-0のまま敗れ去るために戦っているかのようにプレーし、96分にカルム・ウィルソンがPKから同点弾を決めるまではシュートを1本も枠内に放つことができていなかった。誰もが「試合を決定づけられている」と主張していたことが、実はその唯一の命の煌めきをもたらしていたのだ。

しかし、さらに奇妙なことがあった。それはハンドのルールがこの競技を殺しているという話は、現在、サポーターの入場が認められていないスパーズのワールドクラスの10億ポンドの新スタジアムの不気味な空虚さのなかで起こっていたということだ。パンデミックの影響によって、誰もが知る通り、春からずっと、そしてこのまま冬にもこの状況が世界中のフットボールで続いていく。

スパーズは先週のカラバオ・カップが中止となったが、それは対戦相手のレイトン・オリエントがCOVID-19の検査で陽性反応を示した選手が多数出たためだった。オリエントは、スパーズが検査費を負担することで、その検査を実施した。その中止された試合の数日前に、マンスフィールドをプレーしていたオリエントの数人の選手たちの体調が優れず、監督が「食あたりだろうか」と説明していた。下部リーグになると、そのように対応をしているようだ。

他のカラバオ・カップの試合では、下位リーグのチームがビッグクラブのBチームに圧勝していたが、これは何十年にも渡ってこの大会の構造を引き裂いてきたシステム的な不公平感のお馴染みの症状である。なぜこの大会が行われているのか?それは、破産の危機に瀕している小規模クラブの中からランダムな数チームに、多額の現金を手にするチャンスを提供するためだ。トップレベルのリーグでも、現在、財政的に安定していると思われるは富豪か石油王がオーナーのクラブだけだ。

プレミアリーグは、準備不足のチームがみっともない試合を披露しながら経営状態が良好と思われる配信業者からの支払いによだれを垂らしている。この競技は突如陳腐化し、これまで英雄的なオーラを醸し出していた観客を奪われ、ついに今回、競技自体がパロディと化してしまった。崩壊しつつあるフットボール文化の中で、崩壊しつつある経済の中で、燃える地球の中で…、何とか今もその場所にしがみついているこの競技は、「ハンドのルール」によって殺される危険にさらされているようだ。

この競技は、私たちからの関心を失われる危機に瀕しながら、人類が「あまりにも厳しい現実」を直視することに耐えられないことを思い出させてくれた。

神に感謝だ。ハンドのルールを巡る論争のおかげで、私たちの愛するスポーツ界のセレブたちがコミカルに憤慨を訴え、残りの人々が燃えるような情熱的な糾弾に酔いしれることができるのだ。これからも長い間、私たちはハンドのルールを巡る論争に夢中であり続けられるかもしれないが、そのほうが横柄な暗闇の中にある大局を直視するよりも、はるかに話題にしやすいのだから。