/【コラム】ハンドのルールの悲劇は、より深刻な大局から目を逸らしている [The Irish Times]

【コラム】ハンドのルールの悲劇は、より深刻な大局から目を逸らしている [The Irish Times]

スティーブ・ブルースは、「我々は監督、コーチ、どんな立場であれ、みんなで団結して、プレミアリーグに乗り込んで『こんなのは絶対にやめろ』と言わなければならない」と語った。

何がやめなければならないのか?ブルースが言いたかったのは、「狂気」をやめなければならないということだ。狂ったような判定によるハンドでのPKをやめなければならない。プレミアリーグの関係者は、このハンドのルールが「危機である」と誰もが同意している。

「問題はルールではない」ということを除いては。

問題はルールではなく、このルールは真の問題の二次的な効果に過ぎない。根本的にはVARが問題だ。VARはフットボールが驚くほど「些細なハンド」が繰り返されている競技であることを私たちに教えてくれた。過去には、審判はそれに気づかないことで公平に対処していた。肉眼では気づかないほどのスピードで起こった場合、誰もそれを気にしなかった。「死体がなければ犯罪もない」というわけだ。

現在、VARはハンドの可能性のあるすべての局面を見抜くことになり、審判がそれにどう対応すべきなのかに興味が向かっている。

この状況に対応するには2つの方法がある。1つ目は、ある客観的な基準が満たされた場合にハンドボールと判断することだ。ボールが腕に触れたか?腕が肩の高さまで上がっていたか?であれば、昨日のニューカッスル戦のエリック・ダイアーのように、選手がずっと背中を向けていたとしても、それはハンドである。

もう1つは、何がハンドボールに該当し、何がハンドボールに該当しないかは、主観的な解釈に基づいて決めるべきだと審判に委ねる方法だ。(VARに矛先が向けられずに)「客観的」な基準を決めたことに多くの人が怒り狂っているのを見ると、フットボールが主観的なルートに進まないことを決めたことに感謝しなければならない。

VARがある限り、これらの「些細なハンド」にも厳格な判定を要求するだろうし、これを逃れる唯一の方法はVAR の使用を停止することだ。誰もそれを提案していない。誰もがハンドのルールに文句を言っているのみである。