/クリスチャン・エリクセンの移籍先候補は意外にも少ない?

クリスチャン・エリクセンの移籍先候補は意外にも少ない?

彼を獲得するに値する財力・名声を持ち合わせるクラブは意外にも少なく、スパーズに残る可能性も十分ある。

 

「アヤックス、アーセナル、そして最終的にバルセロナへと辿り着く王道の移籍ルートがあると長い間思ってきた。この移籍ルートを往年の名選手の名前を引用し、”マルク・オーフェルマルス”ルートと呼んでいるよ。」

フレンキー・デ・ヨングはこの一週間でそのように語った。

「とはいえ、段階を踏まず直接バルセロナに移籍できるならそれに越したことはないんだ。思っていたよりも早く夢を叶えられたね。」

思えば、当時アヤックスに在籍していた名ミッドフィルダーがフランク・デ・ブール率いるシーズンでアヤックスの3度目のリーグタイトル奪取に貢献し、その後スパーズ加入を決意したのは6年も前の話である。クリスチャン・エリクセン、彼はデンマークで3番目に大きな島であるフュン島への玄関口、ミドルファートという小さな町の出身である。

2008年、当時10代だった彼はオランダの首都に身を移し、バルセロナやレアル・マドリード、そしてマンチェスター・ユナイテッドなど多くのクラブからの興味を一身に集めながらも、結果的にデンマークのスター選手を何人も輩出してきたアヤックスの伝統の一部となった。当時エリクセンはオーデンセのユースチームでプレーしていて、有名なスカンディナヴィア人のスカウト、ヨン・ステーン・オルセンに目をつけられたのはそのときであった。

ちなみに、当時スカウトの若手有望株リストには、セーレン・レアヴィや、ヤン・モルビー、ズラタン・イブラヒモビッチも含まれていた。それはさておき、彼の見つけ出した天才ミッドフィルダーは、2010年の南アフリカワールドカップに同大会最年少選手として出場し、早い段階で期待を裏切らないプレーを見せた。

今のデ・ヨング世代とは対照的に、当時のアヤックスは指揮官デ・ブールの下でヨーロッパの強豪と激しい戦いを繰り広げるのに苦労した。思い返せば、2010-11シーズンならびに2012-13シーズンでもアヤックスはチャンピオンズリーグのグループステージで死の組に入ったわけだが、当時の有望株であったエリクセンが移籍志願をし始めたのはまさしくあの頃であった。

そして、ベイル放出で当時世界最高額と言われた8500万ポンドを手に入れたスパーズが、契約期間残り12ヶ月となったことで移籍可能となった21歳のエリクセンを1100万ポンドで獲得することになったのである。ちなみに、このときアンドレス・ヴィラス・ボアス率いるスパーズが獲得したのはエリクセンを含む7人で、この中には2600万ポンドで獲得したロベルト・ソルダードも含まれる。

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