/ラファエル・ファンデルファールト:ファンの質問で振り返る自身のキャリア(前編)

ラファエル・ファンデルファールト:ファンの質問で振り返る自身のキャリア(前編)

 

サブでの出場が多かった時にレアル・マドリーのファンデ・ラモス監督と仲たがいしたって噂があった。うっぷんが溜まっていたのかい?監督との関係はどうだったんだ?

まったく仲たがいなんてしてないさ。でも、彼は世界で一番好きな監督と言うわけではないね。お互いぴったりくるところが無かったんだ。それに彼のフットボールのスタイルは、僕がレアル・マドリーで馴染んでいたものとは違ったんだよ。僕自身のスタイルにも合わなかったね。

 

マドリーにいる時にアーセナル行きの噂があった。それが実現する可能性はいくらかでもあったのかい?

ああ、その噂は言われたね。オランダ代表のチームメートのロビン・ファンペルシ―と少し話して、彼からアーセナルに僕のことを何回か言ったんだ。でも、返事があったことはなかった。後悔はしていないよ。スパーズに加入したことは、僕に起こったことで一番素晴らしいことだ。実際、もっと早くにプレミアリーグへ移籍する機会はあった。19歳の時にジェラール・ウリエが僕をリバプールに引き抜きたがったんだ。もちろん誇らしかったよ。でも、当時は移籍にそれほど興味がなかった。それでも僕の代理人は、ウリエに電話してみてもいいんじゃないかと言ったね。彼はマイケル・オーエンと僕について話したと説明したよ。リバプールで一緒にプレーできたらハッピーだと言っていたらしい。そんなこと言われたなんて素晴らしいよね。でも、アヤックスに留まりたい気持ちは確かだったんだ。

 

マドリーでの2シーズン目、最初に背番号をもらえなかった時にはショックだった?

簡単じゃなかったね。でも、事態を好転させることができた。シーズン初めにマヌエル・ペジェグリーニ監督から、僕のポジションでは5番目の選択肢だと言われたんだ。グティ、カカ、(エステバン・)グラネロ、ラウルの次だとね。チームのみんなと別々に練習しなければいけなかったのを覚えているよ。トレーニング・グラウンドで一人でランニングしたりね。でも、移籍期間が終わるとグループに戻された。最終的には自分のポジションで先発レギュラーになって、良いパフォーマンスを見せたんだ。僕のレアル・マドリー時代は成功じゃなかったと評価する人もいるかもしれない。でも、スタッツを見れば僕が多くの試合を戦い、多くのゴールを決めたと分かるだろう。マドリー時代を振り返る時は、いつも懐かしく思い出すんだ。

 

 

オランダ代表で109キャップだが、一番特別だった瞬間は?

ユーロ2008のグループステージで、イタリアとフランスと戦った時かな。2試合ともピッチの上で非常にプレッシャーのかかった試合だった。6時間プレーしても疲れを感じないくらいだったね。ユーロ2008と2010年のワールドカップにも出場できたのは素晴らしかったよ。2008年にはチームのみんなが「ワオ、僕らは本当にいいぞ」って思っていたんだけど、思ったように上手くはいかず、優勝はできなかった。2010年にはどっちかって言うとそれとは反対だったな。「それほど印象的なプレーではなくても、誰にも勝たせないぞ」って感じだった。メジャーな大会ではチームとしてはそう感じるのが、多分一番いいんだろうね。

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