歴史上初となるイングランド以外でのノースロンドン・ダービーが、7/31に香港の啓徳体育園(カイタック・スポーツパーク)で開催される。日本のファンも注目するこのダービーを前に、ノースロンドン・ダービーについてスパーズ・ファンの目線で4部に分けて紹介する第3部。
ノースロンドン・ダービーは、世界でも最も激しいライバル関係の一つとして知られている。トッテナム・ホットスパー(以下スパーズ)とアーセナルは、単なる隣人のフットボールクラブという枠を超え、歴史的背景や地元地域の縄張り争い、そして数々のドラマによって“深い因縁”を築いてきた。
その中でも、2001年のソル・キャンベルのアーセナルへの移籍は、スパーズ・ファンにとって忘れ難い“最大の裏切り”として特別な位置を占めている。同時に1971年と2004年にアーセナルがトッテナムの本拠地ホワイト・ハート・レーンで優勝を決めた事実は、スパーズにとって耐えがたい屈辱の象徴だ。
さらに、21世紀に入りアーセン・ベンゲル監督率いるアーセナルの日本での人気拡大は、日本のスパーズ・ファンにとっても複雑な感情を生み出した。本稿ではこれらの出来事を軸に、ノースロンドン・ダービーの“心の闘い”と日本のファン心理について深掘りする。
なお、スパーズジャパンの立ち上げは2002年で、大阪スパーズや神戸スパーズの前身である関西スパーズの立ち上げが2010年と、まさにこれらのスパーズ・ファンにとって屈辱的な出来事が繰り返された時代の真っ只中であった。
ソル・キャンベル – 裏切りの象徴
2001年、トッテナムの象徴的なキャプテンだったソル・キャンベルが、契約満了により宿敵アーセナルへ移籍した。しかもこの移籍はフリー(移籍金ゼロ)で行われたため、トッテナムにとっては金銭的なダメージも計り知れないが、何よりファンの精神的な衝撃は計り知れなかった。
キャンベルはロンドン出身で、幼少期からスパーズのファンだったと言われている。彼はクラブのアカデミーで育ち、若くしてキャプテンを務め、チームの顔として君臨。そんな彼が最大のライバルであるアーセナルに“寝返った”ことは、スパーズ・ファンにとって信じがたい裏切りだった。移籍発表直後から、彼は「Judas(ユダ)」と罵倒され、四半世紀を経た今でも彼を揶揄するチャントがスタジアムに鳴り響くほどだ。
この移籍は単なる選手のキャリア選択を超え、ノースロンドン・ダービーの因縁を象徴する事件として語り継がれている。スパーズ・ファンはキャンベルに対し「自分たちの誇りを踏みにじられた」と感じ、その怒りは未だに消えていない。


