勢力逆転と激化するチャンピオンズリーグ出場権争い – ノースロンドン・ダービー因縁の歴史【第4部】

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プレミアリーグに延期を申請するも認められず、スパーズは朦朧とした状態の選手たちを抱えてウェストハム戦に臨む。だが身体が動かず、0–2で敗戦。アーセナルは同日同時刻のホームゲームに勝利し、逆転でチャンピオンズリーグ出場権を掴んだ。

なお、ハイバリー・スタジアムで行われたアーセナルのリーグ最終節は、翌シーズンからエミレーツ・スタジアムへの移転が決まっていたこともあり、「ハイバリー・ザ・ファイナル」と銘打たれたセレモニーが行われていた。プレミアリーグの要人、FA関係者、元選手、政界・財界の招待客など、多くのVIPがスタジアムに招かれ、アーセナルの栄光の舞台の最終日を見届けた。

“ついに上回れる”と夢見た一夜が、ラザニアで潰えた屈辱。その悪夢は、スパーズにとって永遠に忘れられないトラウマとなった。

そして16年後、アーセナルがプレミアリーグに申請して叶った「延期」の先の直接対決で、今度はスパーズが万全の準備でピッチに立ち、アーセナルを撃破した。相手の動揺を誘った延期劇、その後の勝利、そして逆転という構図は、どこか2006年の因縁を逆写しにしたような形でスパーズの胸に刻まれたのである。

ノースロンドン・ダービーは、単なる地元クラブ同士の争いではない。歴史が積み重ねられ、記憶と記憶が結びつき、世代を超えて語り継がれていく物語である。

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