勢力逆転と激化するチャンピオンズリーグ出場権争い – ノースロンドン・ダービー因縁の歴史【第4部】

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この勝利で弾みをつけたトッテナムは、最終節でも勝利を収め、逆転で4位を確保し、チャンピオンズリーグ出場権を手にした。試合後、アーセナルが敗れたニューカッスル戦の映像を、スパーズの選手たちがドレッシング・ルームで歓喜の声と共に見守る映像は、クラブ公式SNSでも広く拡散された。

だが、この劇的な勝利は単なる順位の逆転劇を超えた、より深い意味を持っていた。スパーズのファンやクラブ関係者にとって、この瞬間は2006年の“あの夜”の記憶を上書きする意味合いを持っていたのである。

それは、2005–06シーズンの最終節に起きた「ラザニア・ゲート」と呼ばれる事件だ。

当時のトッテナムは、長年アーセナルの後塵を拝してきた時代を過ごしていた。1990年代から2000年代初頭にかけて、アーセナルはアーセン・ベンゲル率いる黄金時代の真っ只中で、プレミアリーグ優勝3回、FAカップ制覇も連発し、無敗優勝の“インヴィンシブルズ”として絶対的な地位を誇っていた。対するトッテナムは中位に沈むことが多く、ノースロンドン・ダービーは“名ばかりのライバル戦”とさえ揶揄されていた。

そんな中、スパーズは2005–06シーズン、マルティン・ヨル監督のもとで急成長を遂げ、ついに最終節でチャンピオンズリーグ出場権を手にするチャンスを迎えていた。勝てば4位、アーセナルを上回る。そんな千載一遇の機会の前夜、チームを襲ったのが、集団食中毒だった。原因は宿泊先ホテルで選手たちが口にしたラザニアではないかとされ、翌朝には多くの主力選手を含む10人以上の選手が体調不良を訴える異常事態となっていた。

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