Tom Coley
トッテナムの結果のほぼすべてが、ポステコグルーが深刻な問題を抱えていることを示唆している。しかし、パフォーマンスは貧弱ではなく、その点は彼を救っているのかもしれない。
クラブをどこにも導けぬまま選手たちを含むクラブ全体を批判して職を失ったジョゼ・モウリーニョやアントニオ・コンテとは違い、ポステコグルーは選手たちからより多くの支持を得ている。問題は、それがあまりに混沌としていて持続不可能な支持だということだ。
スパーズはポステコグルーのイメージを取り上げている。彼が発する言葉でも、走り続けるチームのプレー・スタイル、勇敢であり続けるチームの姿勢、チームが主導権を握って自分たちのプレーをやり続けているのを見ることが至福であると説明している。しかし、それが守備を非常に無防備にし、ディフェンダーたちを苦しめているのだ。
その領域に彼は適応しないリスクを冒しているが、18ヶ月が経過した今、その結果として起こっている現状とは異なる道筋を期待していたとしたら、それは観客よりもさらに愚かだ。トッテナムはポステコグルーを起用することで何が起こるかわかっていた。
20試合を終えて12位(あるいはそれ以下)であることは許容できると言っているわけではないが、彼のプレースタイルに対する批判は変わることはなかった。才能はあるが並外れたチームではないチームからより多くのものを引き出すために、彼が費やすべき努力をしていないという一般的な印象を強めるだけだ。
しかし、彼を解任しても実際には何のメリットもない。後任を任せられる傑出した人材はおらず、マンチェスター・ユナイテッドがまさに監督交代が必ずしも報われるわけではないことを示している。夏まで粘ってから再評価する方が賢明だろう。少なくともポステコグルーはトッテナムを進歩的なチームにしようとしているが、それはモウリーニョやコンテにはなかったことだ。