ベン・デイヴィス – ウェールズ代表とトッテナム・ホットスパーの控えめなスター

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ウェールズのニースで生まれたデイヴィスは、Ysgol Gyfun Ystalyfera校で学んでいる間、将来ラグビー選手になる才覚を示していたが、スウォンジー・シティのシーズンチケットホルダーでもあった彼の真の情熱はフットボールに向けられていた。

彼はベッチ(当時のスウォンジー・シティのホーム・スタジアム)でノースバンクからレオン・ブリットンやアラン・テイトといった選手たちを観戦し、やがてスワンズのユースチームを経て、すぐに子供の頃のヒーローたちをチームメイトと呼ぶようになった。

当時を振り返り、テイトは語る。

「僕らと一緒にトレーニングしていれば、彼の常に学びたいという姿勢が伝わってきたよ」

「質問したり情報を取り入れようとる若い選手で、試合に関しては本当に熱心だった」

「全体的には物静かだったね。公平を期すために言うと、トップチームに上がってくる若者はそういうものだよ。ベンは今のまんまさ」

デイヴィスはあまりにも早くトップチームの地位に上り詰めたおかげで、2012年8月に19歳でプレミアリーグでデビューを果たしたときはまだ週給約400ポンドのユース契約を結んだ選手だった。

当時、彼は古いフォルクスワーゲン・ポロに乗っていて、ウインドウレギュレーター・ハンドルを回して窓を開けていたことから、チームメイトを大いに楽しませていた。

当時をテイトは笑いながら思い出す。

「アシュリー・ウィリアムズから聞いたんだ」

「アッシュは車に詳しかったんで、ベンが手で回して窓を閉めていることに最初に気づいたのは彼だったと思う。それが忘れられなかったんだ。そこから、彼はいつ何時でもそれをイジり倒したんだよ!」

「彼は外国の選手もいるドレッシングルーム(当時のトップチーム)に加わった。でも、ある程度成長した英国人の選手たちが中心で、お互いにかなりしのぎを削っていたんだ。その中で彼は入ってきて、成長したんだよ」

「彼はスペイン人や他の外国人たちとも仲良くやっていた。ミチュ(スペイン人ストライカー)も仲良くて、よく話していたんだ。でも、ベンのスペイン語がどれほど上手だったかは分からないけどね」

左サイドバックのニール・テイラーが重傷を負ったため、デイヴィスはすぐにそのポジションを自分のものにし、そこで活躍した。とはいえ、当時のマイケル・ラウドルップ監督は、将来はセンターバックとしてプレーするだろうと考え、次のように述べた。

「プレミアリーグのトップ5か6のクラブの一つにベンは所属することになるだろうね」

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