アンジ・ポステコグルー:チェルシー戦の後の記者会見

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あなたへのイエローカードの理由は何でしたか?

あれは線審がフラッグを上げてなかったときだったと思うが、ヴィックの方に突進していった選手がオフサイドだったんだ。テクニカルエリアを私は出てしまったので、あの判定は十分にフェアだと思うよ。

これほどクレイジーな試合を経験したことがありますか?

いや、でもこれが普通になっていくと思うよ。これこそがこの競技が向かっていく方向なんだ。残念ながら、我々はこれからこのようなフットボールを観たり、戦ったりしなければならない。なぜなら…前にも言ったが、私はこのようなことは好きじゃない。私はその辺に突っ立ってるのが好きではないんだ。私はこの劇場全体が判定を待っているのが好きではないんだよ。

しかし、私はこの状況にあって荒野に佇むことになる(極少数派の立場になる)のを知ってるよ。私は一人ぼっちだ。26年間、私は審判の判定を良くも悪くも受け入れる覚悟ができていたし、キャリアの中で衝撃的な出来事もいくつかあった。自分の思いどおりにならないこともあったが、ただ試合が途切れることなくプレーしたいだけなのに、それすらも我慢を強いられている。

毎週、我々が判定について不平を言っていると、この状況(判定の遅延)が加速するだろうね。もし人々が、その判定が正しいと安心するためにすべてを法医学的に精査しようとするとして、たとえそれが実現できたとしても、我々はきっとまだ満足できないよ。そうなったとして、何を意味するのか?つまり、待ちぼうけする頻度が増えるということだ。

審判の権威を下げるだけだと思うよ。審判が試合をコントロールできているとは言えないだろ。コントロールはピッチの外に委ねられ、それが今の試合の進み方なので、それを受け入れて、それに対処しなければならないんだ。

荒野に佇むとなるとファンも嫌がっているように思えますが、他の監督かクラブ幹部も同じでしょうか?

わからないが、(VARの介入を減らして)審判の判定の大部分を受け入れるように戻すという大きな要請はないようだね。ゴールライン・テクノロジーはシンプルなので理解している。それが入ってきても、誰も文句を言わなかった。

しかし、試合中に誤った判定を無くすという理想郷を探し求めても、そんなことは不可能なんだ。決してそうなることはないが、誰もがその道を進みたがっている。

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