プレミアリーグに向かう運命を予言したメルボルンにあるアンジ・ポステコグルーの壁画

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彼がそれをヌナワディングに行おうと思ったのは、ポステコグルーに天才性を見出していたからであり、そこはポステコグルーをグアルディオラやクライフと並び称した壁画が生まれた場所でもある。

ディミトラキスはfootball.londonに語った。

「アンジは世界最高の現役監督の一人として話題に加わるのが当然だよ。アンジは、この競技を継続的に進化させるイノベーターなんだ」

「彼は明確な哲学を持っており、ゲームプランを実行するためにフィールド上のあらゆるポジションの選手にどのような特性が必要かという公式を持っている。だから彼はどのような環境に置かれても、当てずっぽうではなく、それぞれの役割を担う選手を選ぶことができるんだ」

「彼はこの競技における私のメンターであり、小さなジュニア育成クラブであるヌナワディング・シティを含め、彼が関わったあらゆる環境で伝説を残しているんだ」

当時、オーストラリアの人々は、ポステコグルーをフットボール界の偉大な人物と並べたこの壁画を笑い、またヌナワディンで後方からパスで繋ぐフットボールをする若いチームを笑い、結成から間もないチームが大敗したためある種のフットボール・カルトだとレッテルを貼る人もいた。この国では、一般的により直接的なスタイルのプレーが若いチームでは普及していたのだ。

やがてポステコグルーのやり方がうまくいき始め、若い選手たちはボールに対する恐怖心から完全に解き放たれた。結果、そして最も重要なことに、若者たちの成長はすぐに目を見張るものへとなっていった。

その壁画のアイデアからほぼ16年が経ち、プレミアリーグでグアルディオラと肩を並べるようになったポステコグルーを笑う者はもういない。そしてメルボルン郊外にあるユース・チームは、Aリーグやプレミアリーグのクラブと契約を結ぶような選手を輩出することになった。

それはすべてポステコグルーから生まれた流れであり、ディミトラキスと話しているとスパーズの現在の監督と並んで座り、若い選手のプレーを観察していた日々がどのようなものだったを痛感することができる。ポステコグルーは、才能にそれほど恵まれない若手選手たちが、前回の訪問からどれだけ成長したかを常に知りたがっていた。そういった選手たちの成長こそがこのプログラムの真の指標だったからである。

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