フットボール・チームは決勝に勝利して優勝しただけでなく、自らの力で成し遂げたことに対して、学校内の他の教員や生徒からも尊敬を集めた。
それは、今日スパーズ・ファンであるあなたが目にするアンジ・ポステコグルーの姿であり、素晴らしい移民のサクセス・ストーリーの第一歩であり、人生の道をどこから歩み始めても自分の心に決めたことは何でも達成できることを示した好例である。
オーストラリア代表でもプレーするなど、それなりの現役生活を送った後、監督としてのポステコグルーのキャリアはさらに多くの功績を築き、サウス・メルボルン、ブリスベン・ロアーで記録破りの36試合無敗を含む成功を収めることになる。メルボルン・ビクトリーやオーストラリア代表でも監督を務め、アジア・カップで優勝したほか、ワールドカップの出場権獲得にも貢献し、それ以前はユース代表チームを率いていた。
その後、横浜F・マリノスを率いて15年ぶりのリーグ優勝を果たし、スコットランドではセルティックでの3冠を含む2シーズンで5つのタイトルを獲得した。その後、父と共に愛してやまなかったイングランド・フットボールに活躍の場を移すことが決まったが、父は息子のその行く末を見届ける前にこの世を去っていた。
ジムは指導者としてアンジのオーストラリアでのクラブと代表チームでの功績を誇りに思っていたが、アンジ自身はそのことを他の人から聞いて初めて知ることになった。
家族を地球の裏側に連れて行き、自分の夢と野心を犠牲にして家族に自分たちの夢と野望を追うことができるようにした父親を、ポステコグルーは「私が知っている最も偉大な男」と呼ぶが、2人の関係は親密で感情のやりとりをするようなものではなかったのだ。
幸運にも、ジムは2018年に亡くなる前に息子に対する誇りを人に語っており、ポステコグルー自身も父親が誇りに思うような功績を残そうと努力し続けている。