プレミアリーグに向かう運命を予言したメルボルンにあるアンジ・ポステコグルーの壁画

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ポステコグルーは過去の会話を振り返った。

「箱の中には、前の年に着た袖のないウールのフットボール・ジャンパーが入っていました」

「それには、かなりタイトなフットボール用のパンツも入っていて、顧問を務める音楽教師が着ていました。最初の試合のとき、彼は私たちに『自分が何をしていいのか全く分からない』と言い、私たちがプレーしてる間、木のそばに座って宿題の添削をしていました」

「その段階で、私はこの競技にハマっていて指導者になるつもりだと言いました。最も注目すべきは、12歳の私の話を聞いてくれる仲間たちがいたということです。私は、ウォームアップをして、練習メニューを実行し、チームを選択して、戦術について話し合い、選手交代をしていました。それが本当にしっくりいったんです」

その瞬間に「監督ポステコグルー」が誕生した。それは彼に与えられた役割であり、当時でさえ彼は厳しいボスだった。彼は自分が考案したり読んだりしたウォームアップ、ドリル、トレーニング・セッションを通じてチームを導き、チームを選択し、友人たちをその才能に最も適していると思われるポジションに配置した。

彼らは若いアンジのもとで懸命に働き、学校に証明すべき実力を示していった。ポステコグルーはその役割を学生生活の中でこなしていき、常に周りの人々が間違っていることを証明しようと努めていった。

「ディズニー映画」のようなシナリオで、この青年たちの急造チームは、与えられたオージー・ルールのユニフォームを着て、12歳の若き日のアンジに指導されて、ピッチに出て、勝利に勝利を重ねていった。

プラーラン高校の新しいフットボール・チームは、州選手権まで無敗のシーズンを送り、若い選手兼監督がグランド・ファイナルで自らゴールを決めた。

ポステコグルーは語った。

「私たちは州選手権で優勝しました。当時の賞品は覚えていますよ。マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたペナントとSupernaut(*)のアルバムです!」

*1970年代のオーストラリアのパース出身のグラムロック・バンド

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