「ソニーが持っている資質には疑いの余地はない…私は彼に何か劇的なことをしたとは思わないよ。ただ本人の気分が良くなっただけだと思う。彼は良いプレシーズンを過ごしているし、このフットボールクラブでプレーすることが大好きだなんだ。我々のプレー方法が彼には合っていると思うし、これからますます活躍してくれるだろう」
それでは、ポステコグルーにとっての、移籍マーケットでの最大の後悔は?
「相棒、おそらく何千回も間違いを犯してるんだよ」
「すべての選手をフォローしなければならないんだ。何人かの獲得に迫ったが、実現はしなかった。でも、それが人生なんだ。我々は皆が間違いを犯すが、そこから学んでいるんだよ」
今週の土曜日は、ポステコグルーのホームでの50試合連続無敗記録の継続が懸かるクロップ率いるリバプールを迎え撃っての試練に挑む。ブレナン・ジョンソンはアーセナル戦でハムストリングに軽い損傷を負い欠場することになるが、今週負傷でトレーニングを欠席していたソンとジェームズ・マディソンは週末には体調を整えてプレーできるようになることに期待している。
「この50試合で、私はいくつかの大きな試練を経験した。公平を期すために言えば、私がホームでの好調を維持できているのは、スタジアムの大半を占める我々のサポーターに、自分の応援するチームがフットボールの試合に勝つという体験を通して、我々が届けたい感情を与えることができるからだろう」
「私はそのために多くのことを費やしている。あらゆるタイプの相手、さまざまなタイプの状況があった50試合だ。そこには10人に減りながらも戦い抜いた試合もあっただろうし、劣勢だった試合もあっただろう」
「そうだ、2週間前には95分過ぎに逆転をした試合があったね。これほど長い時間、常に試練がつきまとった。これまで私は幸運にも恵まれていたのかもしれないね」
ポステコグルーにとってリバプールと初めて公式戦で臨むこの試合は特別な舞台になる。なぜなら、彼はオーストラリアでリバプール・ファンの若者として育ったからである。1970年代のオーストラリアのテレビ局では主にマンチェスター・ユナイテッドかリバプールの試合を放送していたが、友人らがユナイテッドのサポーターになることを選ぶ中、若き日のポステコグルーは仲間内での位置づけを面白くするためにリバプールを選び、部屋の壁にはケニー・ダルグリッシュのポスターを貼っていた。
「私の育った環境では、仲間は全員がリバプールかマンチェスター・ユナイテッドのサポーターだったんだよ。毎週試合があり、いつもその2つのチームのどちらかを応援していて、選手たちに魅了されていたんだ」
「オーストラリアではFAカップ決勝は常に注目すべき大試合で、70年代にはリバプールとマン・ユナイテッドが常に出場していた。だから若い頃、私は自分の周りの影響力を考えて、いつも注目を集めていたチームを応援したんだよ」
彼は深夜に父親のジムと一緒にテレビで観戦した試合を思い出した。
「ヨーロピアンカップの決勝戦、それと彼らが(1978年シーズン初めに)トッテナムを7-0で破ったのは、とても思い出深いものだったね。全ての試合を観ていたよ。テープに録画していて見逃さなかったんだ。ビデオテープってわかるかい?ビデオは?」