「効果がなくなるまでは効果があるけど、僕は間違いなく乱用しすぎた。この問題の根本に僕は実際に対処したことはなかったよ。問題は、僕が育っていくなかで抱えていたトラウマだった」
「それがどれだけひどいことなのか理解できなかった。僕は一人ですべてに対処しようとしたんだ。養子縁組でできた家族とのやりとりが何度も僕を悲しませたんだよ。彼らは泣きながら僕を部屋に連れて行き、自分が思っていることや感じていることを話してくれって僕に聞いてくるんだ。僕には答えることができなかった」
「自分一人でなんとかしたかったんだ。その数年間、自分を見失っていたよ。僕は誰彼かわまず追い払い、彼らの助けを受け入れなかった。僕の生活を支えてくれた家族がいて、泣きながら何がいけなかったのか教えて欲しいと聞いてきても、僕は何も答えなかったんだ」
「彼らは何度か聞いていたけど、僕は悪態をついて、彼らを受け入れずにいた。それが問題の一部だったんだ。助けを望んでなかったし、彼らを頼ったりしないって自分に言い聞かせたんだ。彼らを頼らないってね。でも実際は頼ってた。僕には助けが必要だったんだ」
「チームが睡眠薬を与えるのには理由がある。寝るためだ。僕は寝るるために服用してなかった。一日中飲んでたからね。休みの日は午前11時から時々服用していたけど、試合があるときは決して服用しなかったよ。でも、現実から逃げるために、僕は早めに服用してた」
アリの生い立ちについては、これまであまり語られてこなかった。
ファミリーネームの「アリ」と自分は関係無いと感じたため、2016年にユニフォームの背中の名前を「アリ」から「デレ」に変更した。母親はアルコール依存症と闘うために彼を養子に出したが、ネビルとの悲痛なインタビューの中でアリはさらに詳しくそのことを説明した。
「それについてはあまり話したことがないんだ。簡単に理解できるような出来事がいくつかあった。6歳のとき、よく家に来ていた母の友人から性的虐待を受けたことがある。母はアルコール依存症だった」
「6歳のときの出来事だった。その後、規律を学ぶためにアフリカに送られ、また戻ってきた。7歳でタバコを始め、8歳で麻薬の取引に手を出し、麻薬を売り始めた。そう、ある年配の人が、自転車に乗っている子供を(警察が)止めることはないって言ったんだ。だからボールを持って(自転車で)走り回り、麻薬も運んでたんだよ」
「11のときに隣の家の男に橋から吊るされたよ。12歳になって養子として素晴らしい家族に引き取られた。これ以上望めないってほどの家族だった。もし神が人間を創造したとしたら、それは彼ら家族だよ」
「一緒に暮らし始めたばかりのとき、彼らに本当に心を開くのは難しかった。僕は彼らにとってできる限り最高の子供になろうと努力したんだ。周りから僕に同情してもらいたくはないよ」
