セセニョンは、コンテのしごきに備えるため、初夏のトレーニング・グラウンドでウェイト・トレーニングやフィットネス・ワークを行い、すでに独自のプレ・プレシーズンに取り組んでいた。先週のシーズン開幕戦で、ポジション争いのライバルである新加入のクロアチア人、イヴァン・ペリシッチよりもセセニョンをコンテが抜擢したのは、そういった努力が報われた良い兆しである。
「いいコンディションでプレシーズンに合流できたよ。プレシーズンの前に多くのトレーニングをしたんだ。怪我をしないように、プレシーズンの要求に対応できるように、そしてジムで少し体を大きくし、足を鍛え、スタミナの面でもたくさん走っておいたんだよ」
プレミアリーグでのプレーに耐えられるかどうかは、若い選手にとって越えがたいハードルである。しかしセセニョンは、フットボール界とトッテナムのロールモデルであるギャレス・ベイルに励まされることになる。
セセニョンは、左ウイングバックとしてキャリアをスタートさせたベイルを尊敬し、お手本にしている。キャリアの序盤のベイルも、怪我がちで、風が吹けば倒れてしまいそうなほどだった。
もちろん、その後のベイルはレアル・マドリードでチャンピオンズリーグを連覇し、ファイナルでは史上最高のオーバーヘッドによるゴールを決め、その運動量は、おそらく同世代の英国人選手の中で最も優れていると名声を博した。
セセニョンは語る。
「彼はとにかくエネルギッシュだった。パワフルでスピードがあって。スパーズのチャンピオンズリーグ、インテル・ミラノ戦のことを覚えているよ。あれは、ベイルが世界的なブラジル人右サイドバックのマイコンを凌駕した夜だったね」
「いつもそういった彼のプレーした試合のビデオを見て、彼がやっていることを自分のプレーに反映させようと思っていたんだ。そうやって『もっとゴールやアシストを増やせば、チームに残れるはずだ』と思いながらね」
残念ながら、スパーズのレジェンドであるベイルがローンでクラブに戻ってきたとき、ドイツへのローンとなったシーズンと重なってしまったセセニョンは、ベイルと絆を深める機会を逸してしまった。