レポート
ブーイング事件と選手たちの結束
ヴィカーリオとスパーズの関係が今夏で終わることを決定づけたのは、2025年11月29日のフラムとのロンドン・ダービーだった。開始4分でケニー・テテのディフレクションのかかったシュートを許したのち、その2分後、ペナルティエリア外まで飛び出してボールを収めながら、クリアを選ばず弱いパスを選択。これがハリー・ウィルソンの決勝弾につながった。60,546人の観客の不満はヴィカーリオへ向けられ、以降のタッチのたびにスパーズファンからブーイングが起きた。ヴィカーリオは表向き冷静に対応し、Sky Sportsの取材にも「フットボールの一部だ」と答えたが、内心では深く傷ついていたに違いない。試合後、ペドロ・ポロは激怒してトンネルへ向かい、Instagramに「サポーターからチームメイトへの侮辱は容認しない」という趣旨の投稿を行った。当時の指揮官トーマス・フランクも、ファンの反応を「容認できない」と批判している。奇しくもこの日を境に、フランクの解任への道筋も決定づけられることになった。
血の契約書からELタイトルまで
ヴィカーリオは2023年、エンポリから1,720万ポンドでの加入を「必要なら自分の血でサインしてでもよかった」と振り返るほどの熱意を持って実現させた。ウーゴ・ロリスの後任として重責を担った1年目には、最終的にミッキー・ファンデフェンが受賞したクラブ年間最優秀選手の候補にも名を連ねる活躍を見せた。2年目には、マンチェスター・シティのサヴィーニョとの接触で足首を骨折しながらも1時間プレーを続け、エティハド・スタジアムでの4-0勝利に貢献。復帰後のヨーロッパでのパフォーマンスも光り、ビルバオでのヨーロッパリーグ決勝ではルーク・ショウのヘディングを土壇場で防ぎ、クラブの17年ぶりのタイトル獲得に貢献した。試合終了の笛が鳴った瞬間、ヴィカーリオはゴール裏のファンの方を振り返り膝から崩れ落ちた。
最後のシーズンとキンスキーへの禅譲
3年目、ヴィカーリオは痛みを伴うヘルニアを抱えながら数ヶ月間プレーを続け、チャンピオンズリーグのリーグフェーズでは他のどのGKよりも多くのクリーンシートを記録した。手術は、事実上最後の出場試合となった3月22日のノッティンガム・フォレスト戦(ホームで0-3敗戦)の後にようやく受けている。手術を先延ばしにしていた背景には、控えのアントニン・キンスキーの準備が整っているかへの懸念があったが、シーズン終盤、キンスキーは期待に応える活躍を見せた。今夏、ユベントスはアストン・ヴィラのエミリアーノ・マルティネス獲得を断念した後、ヴィカーリオへ関心を切り替え、860万ポンド(1,000万ユーロ)の買取オプション付きローンでの移籍が決定的となった。
記事解説
今回の回想記事で印象的なのは、ブーイング事件という「不名誉な瞬間」が、結果的にヴィカーリオの在籍期間を象徴する出来事として扱われている点だ。しかし記事全体を通して描かれているのは、その一瞬の出来事とは対照的な、加入時からの一貫した献身ぶりだ。「自分の血でサインしてでも」という言葉に象徴される熱意は、単なる美談ではなく、彼が最後まで見せ続けた姿勢の原点だったと理解できる。
ロメロやスペンスと同様、ヴィカーリオも当初の移籍金を大きく下回る価格での放出となった。しかし記事が指摘する通り、これは選手の実力不足というより、デゼルビが求めるスタイル(足元の技術を生かした素早い判断力)との相性の問題、そして2季連続で17位というスパーズの大不振の影響であり、個人能力そのものへの評価とは切り離して考えるべきだろう。そして何より、移籍先での今後のパフォーマンスによって各選手の真価が問われることとなる。
最終節のエヴァートン戦で、ベンチスタートだったにもかかわらずデゼルビを抱きしめて喜びを爆発させたというエピソードは、この選手がクラブそのものに強い愛着を持っていたことを何より雄弁に物語っている。117試合という出場数は、決して突出した数字ではないかもしれないが、痛みを抱えながらもピッチに立ち続けた3年間は、記録以上の意味を持つものだったといえるだろう。

