地球上で最大のフットボールの祭典、2026 FIFAワールドカップが木曜日(英国時間)に開幕する。
すべてはメキシコシティの有名なアステカ(現在はエスタディオ・バノルテとして知られる)で、共同開催国のメキシコが南アフリカを迎え撃つ一戦からスタートする。アメリカとカナダを加えた共同開催となる今大会は、1930年に第1回大会が開催されて以来、23回目のワールドカップとなる。 この夏のフットボールフェスティバルに向けてビルドアップしていくにあたり、最高の舞台に登場したスパーズの選手たちの歴史を振り返ってみよう。

クリスティアン・ツィーゲ(ドイツ)
ドイツが2002年大会の決勝に進出したクリスティアン・ツィーゲは、スパーズの選手として史上初めてワールドカップ決勝の舞台に立った。
1993年6月のブラジル戦(3-3の引き分け)でドイツ代表デビューを果たして代表に定着していたツィーゲは、アジア初開催となった日本・韓国での2002年大会において、チームに不可欠な存在だった。
そして彼はこの大会でクラブの歴史にその名を刻んだ。ロナウドの活躍によりブラジルに0-2で敗れた決勝で、彼は84分から途中出場を果たした。
ツィーゲはグループEを突破したドイツのグループステージ全3試合に先発出場した。サウジアラビア戦(8-0で勝利)、アイルランド代表戦(1-1の引き分け、ロビー・キーンが92分に同点ゴールを奪った試合)、そしてカメルーン戦(2-0で勝利)である。しかし、12枚のカードが乱れ飛んだカメルーン戦でイエローカードを受けたことで、ツィーゲは第2ラウンドのパラグアイ戦を出場停止となった。
ドイツはパラグアイに1-0で勝利して勝ち進み、ツィーゲはアメリカとの準々決勝で先発に復帰した。この試合はミヒャエル・バラックが唯一のゴールを決めている。しかし、ドイツのルディ・フェラーはソウルで行われた開催国・韓国との準決勝に向けてメンバーを入れ替え、クリスティアンは先発から外れた。この試合でもバラックが決勝点を挙げている。
準々決勝でイングランドを破ったブラジルが、ドイツの4度目のワールドカップ制覇の前に立ちはだかり、ツィーゲは再びベンチスタートとなった。残り6分で彼がピッチに投入された時、すでにロナウドがブラジルに2ゴールをもたらしており、トロフィーは再び南米へと向かっていた。

ミレンコ・アチモヴィッチ(スロベニア)
ミレンコ・アチモヴィッチは名目上はスパーズの選手だったが、スロベニア代表として2002年ワールドカップに出場した時点では、まだ有名なリリーホワイトのユニフォームに袖を通していなかった。
大会開幕の数週間前である同年5月にレッドスター・ベオグラードから加入した彼は、スパーズでのデビューを翌2002-03シーズンまで待たなければならなかった。グディソン・パークでの開幕戦エバートン戦(2-2の引き分け)で、ステファン・イヴェルセンに代わって途中出場を果たした。
さらなる旋風を巻き起こすことを期待して極東へ向かったスロベニアは、スペイン、南アフリカ、パラグアイと同組になり、第2ラウンド進出は手の届くところにあるように見えた。しかし、そうはならなかった。彼らは予選での好調を本大会で再現できず、3連敗でグループ最下位となり敗退した。
初戦のスペイン戦でベンチスタートとなったアチモヴィッチは63分から出場したが、スペインの3-1の勝利を阻止することはできなかった。しかし続く2試合では先発ラインナップに名を連ねた。南アフリカに0-1で敗れたことでスロベニアの大会は幕を閉じたが、ミレンコ個人のハイライトは最終戦のパラグアイ戦で訪れた。ハーフタイム直前に彼が先制ゴールを決めたのだ。残り28分で彼が交代した時点でもスロベニアは1-0でリードしていたが、その後南米のチーム(パラグアイ)が3ゴールを奪って勝ち点を持ち去った。

テディ・シェリンガム(イングランド)
テディ・シェリンガムが初めてイングランド代表キャップを獲得したのは、ホワイトハート・レーンでの最初の在籍期間中だった。そして9年後にイングランド代表としてのキャリアに幕を下ろした時、彼は再びここに戻ってきていた。
このストライカーの代表デビューは、1993年5月にホジュフで行われた1994年ワールドカップ予選のポーランド戦(1-1の引き分け)だった。この予選はグラハム・テイラーの下で突破を果たせず、スリーライオンズ(イングランド代表の愛称)にとって最終的に失敗に終わっている。
4年後の1998年フランス大会、スパーズのレジェンドであるグレン・ホドルがイングランドを本大会へ導き、シェリンガムをメンバーに含めた。しかしこの時点でテディはマンチェスター・ユナイテッドのユニフォームを着ていた。彼はチュニジア戦とルーマニア戦の2試合に出場したが、スパーズの選手としてワールドカップの試合に出場したのは2002年大会になってからだった。
日本・韓国大会への道のりで予選3試合に出場したテディ(オールド・トラフォードでの予選最終戦ギリシャ戦では、途中出場から数秒後に重要な同点ゴールを決めた)は、36歳にしてワールドカップに出場したクラブ史上最年長のフィールドプレーヤーとなった。
彼はイングランドの全5試合のうち4試合に出場し、すべて途中出場だった。スヴェン・ゴラン・エリクソンはグループステージ初戦のスウェーデン戦(1-1の引き分け)では彼を起用しなかったが、札幌で行われた宿敵アルゼンチンとの重要な一戦において、シェリンガムの豊富な経験とノウハウは確実に役立った。
44分のデビッド・ベッカムのペナルティキックでイングランドがリードを奪った後、シェリンガムは後半9分に投入された。彼はポゼッションを維持してアルゼンチンを苛立たせる上で重要な役割を果たし、スリーライオンズは1-0で勝利を収めた。
その後シェリンガムは、第2ラウンド進出を決めた大阪でのナイジェリア戦(スコアレスドロー)、そして準々決勝進出を決めたデンマーク戦(3-0で勝利)の2試合で、それぞれ終盤の21分間をプレーした。
テディの代表キャリアは静岡でのブラジル戦で終わりを迎え、これが彼にとって50キャップ目にして最後の出場となった。マイケル・オーウェンのゴールで幸先よく先制したものの1-2と逆転され、同点ゴールを必死に探すイングランドにおいて、彼は残り10分でアシュリー・コールに代わって出場した。しかし願いは叶わず、スリーライオンズは敗退した。

記事解説
2002年大会は、スパーズの選手たちがそれぞれ異なる立場で世界の舞台に挑んだ象徴的な大会だった。ツィーゲは決勝の舞台に立ち、アチモヴィッチは新加入選手として存在感を示し、シェリンガムはベテランとしてチームを支えた。
そして、この大会は“のちにスパーズへ加入する選手たち”にとっても重要な転機となった。日本でのワールドカップで感動的な活躍を見せ、日本国内にも多くのファンを生み出したアイルランド代表の若きストライカー、ロビー・キーンは、その勢いのまま大会後の2002年8月にスパーズへ加入。以降、クラブ史に残るストライカーとして長く愛される存在となった。
また、日本代表として決勝トーナメント進出に貢献した戸田和幸も、W杯の半年後となる2003年1月にスパーズへ加入。日本人として初めてスパーズのユニフォームに袖を通し、クラブにとって“日本市場への扉を開いた存在”となった。2002年大会での躍動が、スパーズ加入への道を切り開いたことは間違いない。
こうした背景を踏まえると、2002年W杯はスパーズにとって単なる“参加者の大会”ではなく、クラブの歴史と国際的な広がりを形作る重要な節目だったと言える。
投稿元:Spurs at the World Cup | 2002(Tottenham Hotspur Official)

