地球上で最大のフットボールの祭典、2026 FIFAワールドカップの開幕までいよいよ1週間となった。
すべては6月11日(木)、メキシコシティの有名なアステカ(現在はエスタディオ・バノルテとして知られる)で、共同開催国のメキシコが南アフリカを迎え撃つ一戦からスタートする。
アメリカとカナダを加えた共同開催となる今大会は、1930年に第1回大会が開催されて以来、23回目のワールドカップとなる。 この夏のフットボールフェスティバルに向けてビルドアップしていくにあたり、最高の舞台に登場したスパーズの選手たちの歴史を振り返ってみよう。

エリック・トルストベット
1994年のアメリカ・ワールドカップ本大会の出場権を獲得した当時のノルウェー代表は黄金期の真っ只中にあり、そのメンバーには、我々のゴールキーパーであるエリック・トルストベットをはじめ、イングランドのクラブに所属する選手が多数含まれていた。
ノルウェーは1938年のフランス大会に出場して以来、国際舞台から長く遠ざかっていた。しかし、1982年のエギル・オルセンの就任と、ヨーロッパ各地のトップリーグにおける数名のスター選手の台頭が、復活の大きなきっかけとなった。
彼らは予選をグループ首位で通過した。同じグループを通過したオランダや、敗退したイングランドを抑えての結果だ。実際、ノルウェーはウェンブリーでグラハム・テイラー率いるイングランドと引き分け、その後オスロで2-0の勝利を収めている。
ホワイトハート・レーンに在籍中、ファンからもメディアからも「エリック・ザ・バイキング」の愛称で親しまれたトルストベットは、スパーズでの6シーズン目を終えた後にこの大会を迎えた。
ノルウェーはイタリア、アイルランド、メキシコと同組の厳しいグループに入った。しかし、トルストベット、グンナル・ハレ、スティグ・インゲ・ビョルンビー、アルフ=インゲ・ハーランド、ヘニング・ベルグ、ラルス・ボヒネン、そして後にスパーズに加入するオイビンド・レオナルドセンらを擁する陣容により、彼らはグループ突破に自信を持っていた。
エリックは正GKとして定位置につき、チームはチェティル・レクダルの84分の決勝点によりメキシコを1-0で破る理想的なスタートを切った。しかし、第2戦ではイタリアに敗れた。
最終戦を迎えた時点で、グループ内の全4チームがそれぞれ勝ち点3で並んでいた。ノルウェーはアイルランドに勝てば突破できる状況だったが、ニューヨークでの試合はスコアレスドローに終わった。
イタリア対メキシコの試合も引き分けに終わった。グループ内の全チームが勝ち点4で並ぶという結果になったが、ノルウェーは得点不足(わずか1得点)によりグループ最下位となり、大会から姿を消した。トルストベットは3試合でわずか1失点に抑えたが、それだけでは十分ではなかった。
スウェーデンのIFKヨーテボリから加入したエリックは、1989年から1996年の間に我々のために218試合に出場し、1991年にFAカップで優勝した。彼にとって我々が最後のクラブとなり、1996年に引退した。1982年から1996年にかけて、ノルウェー代表として97キャップを獲得している。

記事解説
1994年大会は、スパーズの守護神エリック・トルストベットが世界の舞台で存在感を示した大会だった。ノルウェーは守備面で大会屈指の安定感を誇り、トルストベットはその中心として堂々とプレーした。一方で、得点力不足が唯一の弱点となり、わずか1失点で敗退するという極めて珍しい結末に終わった。
この大会でノルウェーにフォーカスせざるを得ない理由は明確で、イングランドが本大会に出場していなかったためだ。1990年大会のガスコインとリネカーのような“スパーズの象徴”が不在の中で、世界の舞台でクラブの名を示したのがトルストベットだったという構図になる。
さらに、この大会はスパーズにとってもう一つ重要な意味を持つ。ドイツ代表のエースとして活躍したユルゲン・クリンスマンが、W杯後にスパーズへ加入することになるからだ。前回王者としてW杯に臨んだドイツはベスト8で敗退したものの、アメリカ大会で4ゴールを挙げたクリンスマンは世界的評価をさらに高め、その勢いのままロンドンへやって来た。
1994-95シーズンのクリンスマンは、プレミアリーグを席巻した。デビュー戦の鮮烈なゴールから始まり、リーグ21得点、FWA年間最優秀選手賞の受賞──守備が不安定で降格圏に近づく試合も多かったチームを、彼の決定力が何度も救った。最終順位は7位だったが、クリンスマンの得点がなければ残留すら危うかったと言われるほどで、実質的に“1人でチームを残留圏から引き上げた”シーズンだった。
トルストベットが守備の象徴なら、クリンスマンは攻撃の象徴。1994年大会は、スパーズの未来を形作る二人の存在が“世界の舞台で交差した瞬間”でもあった。翌シーズン、クリンスマンはスパーズで圧倒的なインパクトを残し、トルストベットとともに90年代のクラブを支える中心人物となる。
なお、クリンスマンは1997-98シーズンにシーズン途中で再加入し、当時降格圏に沈んでいたチームを自らのゴールで引き上げ、最終的に残留へ導く“二度目の救世主”として再びクラブの歴史に名を刻んだ後、1998年W杯でプレーし、プロとしての現役キャリアを終えている。
W杯1994は、スパーズの歴史において“守護神トルストベットの証明”であると同時に、“クリンスマン加入の前奏曲”でもあった。イングランド不在の大会で、スパーズの存在感を世界に示した象徴的な大会だったと言える。
投稿元:Spurs at the World Cup | 1994(Tottenham Hotspur Official)

