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【公式】スパーズとW杯1990──ガスコインとリネカーが導いた“イングランド復活”の物語

【公式】スパーズとW杯1990──ガスコインとリネカーが導いた“イングランド復活”の物語

✔ ガスコインとリネカーが牽引したイングランドのW杯準決勝進出
✔ ガスコインの涙、リネカーの決定力──イタリア90を象徴する名場面
✔ 翌年のFAカップ制覇へつながる“スパーズ黄金コンビ”の頂点

地球上で最大のフットボールの祭典、2026 FIFAワールドカップの開幕まで1週間余りとなった。

すべては6月11日(木)、メキシコシティの有名なアステカ(現在はエスタディオ・バノルテとして知られる)で、共同開催国のメキシコが南アフリカを迎え撃つ一戦からスタートする。

アメリカとカナダを加えた共同開催となる今大会は、1930年に第1回大会が開催されて以来、23回目のワールドカップとなる。 この夏のフットボールフェスティバルに向けてビルドアップしていくにあたり、最高の舞台に登場したスパーズの選手たちの歴史を振り返ってみよう。

【公式】スパーズとW杯1990──ガスコインとリネカーが導いた“イングランド復活”の物語

ポール・ガスコイン、ゲーリー・リネカー

1980年代の厳しい時代を経て、この大会はイングランドのフットボールに再び命を吹き込んだ。スリーライオンズ(イングランド代表の愛称)が1990年ワールドカップの準決勝へと快進撃を見せたのは、ゲーリー・リネカーのゴールとポール・ガスコインの芸術性、すなわち全盛期にあった2人のスパーズの選手の活躍によるものだった。

彼らは直前のシーズンで我々がディビジョン・ワンで3位に入るのに貢献し、リネカーはリーグ戦24ゴールで得点王に輝き、ガザ(ガスコインの愛称)は中盤から多くのアシストを供給していた。

リネカーは、メキシコ大会の準々決勝でアルゼンチンとディエゴ・マラドーナの悪名高い「神の手」ゴールによりイングランドが敗退したものの、1986年大会で6ゴールを挙げてゴールデンブーツ(得点王)を獲得していた。

1990年大会の予選でわずか2試合しか出場していなかったガスコインは、大会開幕前の国際舞台では無名に近い存在だった。

しかし大会が終わる頃には、彼はスーパースターになっていた。

カリアリで行われたグループステージ初戦のアイルランド戦で、開始わずか8分にゴールを決め、イングランドに最高のスタートをもたらしたのはエースストライカーのリネカーだった。アイルランドが反撃して1-1の引き分けに持ち込んだ後、イングランドは次のオランダ戦をスコアレスドローで終えたが、ガザはオランダを相手に自身の「クライフターン」を披露して主役の座を奪った。

【公式】スパーズとW杯1990──ガスコインとリネカーが導いた“イングランド復活”の物語

勝利が必要だった最終戦のエジプト戦では、ガスコインのフリーキックをマーク・ライトが頭で合わせて唯一のゴールを奪い、イングランドは歩みを進めた。

その後、ベルギーとの第2ラウンドはPK戦が濃厚となる中、119分にデビッド・プラットのボレーシュートで決着がついた(ここでもガザがチャンスを演出した)。そしてカメルーンとの準々決勝でリネカーが鋼の精神力を発揮し、2本のペナルティキックを冷静に沈めてイングランドが不屈のライオン(カメルーン代表の愛称)を3-2で下すのを助けた。ここでもガザが決勝点のアシストを記録している。

これにより、トリノで行われた西ドイツとの準決勝が実現した。多くの人がこれを大会最高の試合だったと考えている。一進一退の攻防で世界を釘付けにしたこの試合、アンドレアス・ブレーメのゴールでドイツが先制した後、残り10分でリネカーが再びイングランドを救う同点ゴールを決め、1-1とした。

ガスコインは中盤で堂々たるプレーを見せ、終始ゲームをコントロールしていたが、延長前半9分、ガザがトーマス・ベルトルトへのファウルで警告を受けた時、大会で最もドラマチックな瞬間の一つが訪れた。

これは彼にとって今大会2度目の警告であり、イングランドが決勝に進出しても彼は出場できないことを意味した。涙ぐむガスコインと、ベンチに向かって「彼と話をしてやってくれ」と合図を送るリネカーの姿は、象徴的な記憶として残っている。

【公式】スパーズとW杯1990──ガスコインとリネカーが導いた“イングランド復活”の物語

結局、リネカーが最初のPKを成功させたものの、イングランドはPK戦の末に3-4で敗れ、ワールドカップ決勝進出を逃した。そのパフォーマンスと感情表現により、ガスコインは国中のフットボールファンに愛され、同世代で最高の選手がここに誕生した。

イタリア90の後、この2人は1991年のFAカップ優勝に向けて我々を鼓舞した。ガザのパフォーマンスは別次元であり、オックスフォード、ポーツマス、ノッツ・カウンティ戦でゴールを決め、ウェンブリーでの準決勝アーセナル戦では象徴的なフリーキックを叩き込んだ。この試合ではリネカーも2ゴールを挙げ、3-1で勝利した。

決勝ではフォレストに2-1で勝利してトロフィーを掲げたが、前半にガザが膝を負傷したことはよく知られている。これにより、ラツィオへの移籍は1年遅れることになった。

変幻自在の才能を持つ歴代最高の名手の一人であるガザは、1988年から1992年の間に我々のために112試合に出場して33ゴールを記録した。一方、歴代最高のストライカーの一人であるリネカーは、1989年から1992年の間に138試合に出場し、80ゴールを挙げた。

【公式】スパーズとW杯1990──ガスコインとリネカーが導いた“イングランド復活”の物語

記事解説

イタリア90は、スパーズの2人が世界の舞台で最も輝いた大会だった。ガスコインは創造性と情熱で試合を支配し、リネカーは勝負どころで必ず決める“絶対的エース”として君臨した。2人の活躍は、イングランド代表の復活と同時に、「トッテナム・ホットスパー」というクラブの存在を世界に強烈に刻みつけた。

当時日本のサッカー小僧だった私自身も、この大会で初めて「ガスコインとリネカーという2人のスーパースターが所属するチームがロンドンにある」ことを知った。イタリア90は、スパーズというクラブを意識し始めた原点であり、後にクラブを追い続けるきっかけとなった大会でもある。

翌1991年、2人はスパーズをFAカップ優勝へ導く。ガスコインの伝説的なフリーキック、リネカーの2得点──イタリア90で築かれた勢いは、クラブの成功へと直結した。

ガスコインは112試合33得点、リネカーは138試合80得点。スパーズ史に残る“黄金コンビ”の頂点が、まさにこの1990年W杯だった。

投稿元:Spurs at the World Cup | 1990(Tottenham Hotspur Official)