2025/26シーズンのプレミアリーグが幕を閉じてからわずか数日。我々は早くもその先を見据えている。地球上で最大のフットボールの祭典、2026 FIFAワールドカップの開幕まであと2週間を切っている。
すべては6月11日(木)、共同開催国であるメキシコが、有名なアステカ(現在はエスタディオ・バノルテとして知られる)で南アフリカを迎え撃つ一戦からスタートする。
アメリカとカナダを加えた3カ国による共同開催となる今大会は、1930年に記念すべき第1回大会が開催されて以来、23回目のワールドカップとなる。 この夏のフットボールフェスティバルに向けてビルドアップしていくにあたり、最高の舞台に登場したスパーズの選手たちの歴史を振り返ってみよう。

モーリス・ノーマン、ジミー・グリーブス
モーリス・ノーマンは、我々が1960/61シーズンにダブル(2冠)を達成し、翌シーズンにFAカップを連覇した時期に全盛期を迎えていたが、イングランド代表からの招集はなかなかかからなかった。
選考委員がようやく彼を認め、このセンターバックをチームに加えたのは、チリで開催される1962年ワールドカップの開幕までわずか8日前のことだった。それはイングランドがジュール・リメ・トロフィー獲得への挑戦を始める前の最後の親善試合だった。
ウォルター・ウィンターボトム率いるスリーライオンズはリマでペルーと対戦し、センターバックのモーリスはボビー・ムーアと並んで代表デビュー戦のピッチに立った。グリーヴジー(グリーブスの愛称)がハットトリックを達成してイングランドが4-0で勝利を収め、モーリスも強い印象を残した。その結果、11日後にはワールドカップ初戦のハンガリー戦の先発イレブンに名を連ねることになった。
スリーライオンズにとって最高の大会とはならなかった。彼らはグループステージで2敗を喫したものの得失点差で勝ち進み、準々決勝で最終的に王者となるブラジルに敗れた。
イングランドはランカグアのエスタディオ・ブラーデンでのハンガリー戦に1-2で敗れて大会をスタートしたが、ロン・フラワーズ、ボビー・チャールトン、グリーブスのゴールによりアルゼンチンに3-1で勝利して立て直した。ブルガリアとのスコアレスドローにより、イングランドは辛うじてブラジルとの対戦へと駒を進めた。
前大会王者のブラジルはノーマンとムーアに厳しい試練を与えることが予想されたが、まさにその通りになった。負傷したペレを欠いていたにもかかわらず、ブラジルはディディ、ババ、そして絶好調だった空飛ぶウインガー、ガリンシャといった選手たちを擁していた。
ガリンシャのゴールでブラジルが先制し、ジェリー・ヒッチェンスがイングランドの同点ゴールを決めたものの、ババとガリンシャに追加点を奪われ、イングランドの敗退が決まって帰国の途に就いた。
モーリスは確実にその名を刻み、その後2年間にわたり際立った活躍でイングランドを代表し続け、合計23キャップを獲得した。
スパーズの守備の要であったノーフォーク出身の心優しき巨人は、1955年から1965年までの10年間で我々のために411試合に出場し、1961年のダブル、1962年のFAカップ連覇、そして1963年の欧州カップウィナーズカップ獲得に貢献した。
グリーヴジーもイングランドの全4試合に先発出場し、アルゼンチン戦で自身のワールドカップ初ゴールを記録した。これが1962年大会における彼の唯一のゴールとなった。
これがワールドカップにおけるグリーヴジーの波乱万丈な歩みの始まりに過ぎなかった。続きは明日の記事でお届けする。

記事解説
1962年大会は、スパーズ史において特別な意味を持つ。ノーマンは代表デビューからわずか数日でW杯スタメンに抜擢され、ムーアと並ぶセンターバックとして堂々たるプレーを披露した。クラブでの実績は十分だったが、代表での評価が遅れた選手が、世界の舞台で一気に存在感を示した象徴的な大会だった。
グリーヴスもまた、アルゼンチン戦でW杯初ゴールを挙げ、ストライカーとしての確かな実力を世界に示した。後の1966年イングランド大会でのドラマを考えると、1962年は“静かに始まったW杯物語”と言える。
スパーズは1950年、1958年に続き、1962年も代表選手を送り出し、クラブの黄金期を象徴する存在が世界の舞台で躍動した。ノーマンとグリーヴスの活躍は、スパーズの歴史に刻まれた重要な一章であり、今夏のW杯を前に改めて振り返る価値がある。
投稿元:Spurs at the World Cup | 1962

