2025/26シーズンのプレミアリーグが幕を閉じてからわずか数日。我々は早くもその先を見据えている。地球上で最大のフットボールの祭典、2026 FIFAワールドカップの開幕まであと10日に迫っているからだ。
すべては6月11日(木)英国時間20時、共同開催国であるメキシコが、首都メキシコシティの有名なアステカ(現在はエスタディオ・バノルテとして知られる)で南アフリカを迎え撃つ一戦からスタートする。
アメリカとカナダを加えた3カ国による共同開催となる今大会は、1930年に記念すべき第1回大会が開催されて以来、23回目のFIFAワールドカップとなる。 この夏のフットボールの祭典に向けてビルドアップしていくにあたり、まずはこの最高の舞台に登場したスパーズの選手たちの歴史を振り返ってみよう。

ワールドカップにおけるスパーズの歴史|1950年大会
プロとしてスパーズの籍を置いたままワールドカップの本大会に出場した最初の選手は、イングランドフットボール史上最大の栄光と永遠に、そして深く結びついている。その人物こそ、サー・アルフ・ラムジーだ。
スパーズが1949/50シーズンに2部リーグを制覇した後、1950年のブラジル大会に臨むイングランド代表のスカッドには、ラムジー、「ミスター・トッテナム」ことビル・ニコルソン、ビルのアシスタントを務めることになるエディー・ベイリー、そして偉大なゴールキーパーであるテッド・ディッチバーンという、スパーズのレジェンド4人が名を連ねていた。
ラムジーは1949年11月、7万人以上の大観衆が詰めかけたホワイトハート・レーンでのイタリア戦でスパーズの選手としてイングランド代表デビューを飾った。そして、リオデジャネイロの有名なマラカナン・スタジアムで行われたグループ2の開幕戦チリ戦に先発し、我々のクラブの選手として初めてワールドカップのピッチに立った。当時30歳の彼は、スタン・モルテンセンとウィルフ・マニオンのゴールによる2-0の勝利を支え、スリーライオンズの有望なスタートに貢献した。

しかし、歓喜はそこまでだった。格下と見られていたアメリカとの第2戦は、アメリカがベロオリゾンテで1-0の勝利を収め、ワールドカップ史上最大の番狂わせの一つとしてフットボールの伝承に残ることになった。この試合にもラムジーはラインナップに名を連ねていた。数年後、テレビのインタビューで故ブライアン・ムーアから「1950年のワールドカップでアメリカがイングランドを破った時、君はプレーしていたのかい?」と問われたアルフは、「まともにプレーしていたのは私だけだったよ!」と返している。
グループステージ最終戦のスペイン戦では、ラムジーに加えてベイリーもイングランド代表の先発に加わったが、再び0-1の敗戦を喫した。各グループの首位のみが次へ進めるレギュレーションだったため、チームは失望とともに早期退退を余儀なくされた。
誰もが知る通り、ラムジーはのちに英雄としてワールドカップに戻ってくることになる。16年後の1966年、彼は監督としてイングランドを最大の輝きへと導き、母国イングランドの地でトロフィーを掲げた。

記事解説
今回のクラブ公式ワールドカップ特集は、スパーズとワールドカップの歴史を振り返るシリーズの一環であり、1950年大会はその出発点だ。ラムジー、ニコルソン、ベイリー、ディッチバーンというクラブ史に残る4名が同時に代表入りしていた事実は、当時のスパーズの勢いを象徴している。
特にラムジーのキャリアは、1950年の苦い経験から1966年の栄光へとつながる“フットボール史の大きな流れ”の中に位置づけられる。スパーズにとっても、W杯とクラブの歴史が深く結びついていることを示す重要なエピソードだ。
投稿元:Spurs at the World Cup | 1950

