奇跡の男 – ロイ・ホワイト
ダンケルクの生存者でノースロンドン・ダービーを観戦に来たつもりがそのままスパーズでプレーすることになった男!
レイモンド・’ロイ’・ホワイトは1918年にマージーサイドのブートルで生まれ、エバートンとアマチュア契約を結び、第二次世界大戦前にはトフィーズのAチームでプレーしていたが、プロフットボール以外のキャリアを選択し、会計学の道に進んだ。
1940年夏の「ダンケルクの戦い※」のあの有名な撤退作戦に参加したロイの乗船「ランカストリアン号」は英仏海峡で沈没し、彼は水中に数時間いた間に一時的に失明した。長い入院生活の間に、彼はブラックバーンやミドルズブラでプレーしたフォワードのジョック・マッケイと出会い、当時の我々のマネージャーであったピーター・マクウィリアムに推薦された。
退院後、ロイはロンドンの軍務省(War Office)で働いており、1940年11月16日に行われた戦時下のフットボールリーグ・サウスにおけるノースロンドン・ダービーに招待された。そこで信じられないことに、我々は選手の数が不足しており、ロイは出場を求められた。そして彼は、アーセナルとイングランドのレジェンドであり、アーセナルのクラブ歴代得点ランキングで3位に位置するクリフ・バスティンを相手に素晴らしいプレーを見せたため、我々クラブは即座に彼にアマチュア契約でオファーを出したのだ!
ロイはそれに応じ、その戦時中の期間に我々クラブで165試合に出場した。ハーフバック(中盤)のロイは、最終的に1946年1月のFAカップのブレントフォード戦でスパーズでの公式戦デビューを飾り、通算4試合に出場した。我々とマンチェスター・ユナイテッドの両クラブからプロ契約のオファーを提示されたが、彼は会計学に戻ることを選択し、ブラッドフォード・パーク・アベニューでパートタイムのプロとしてプレーし、1948年にはハイベリーで行われたアーセナルとのFAカップでの勝利にも貢献した。ロイは1951年に引退し、1988年12月に他界した。
ロイのデビュー戦のリアル…
ロイのデビュー戦はレーンで1-1の引き分けに終わったが、当時は第二次世界大戦中で定期的に空襲警報が出ていたため、観客動員数はノースロンドン・ダービーで記録された中で最低のわずか1,916人であった。当時のロンドンにおけるそれらの警報はこの試合に実害をもたらした。空襲警報のために試合は15分の中断となり、最終的に80分後に再開されたのである。

