背景・ソース
本稿の主要ソースは、トッテナム・ホットスパー公式サイト(tottenhamhotspur.com)による歴史特集コラム「The Knowledge」である。
背景として、1960年代のトッテナムとバーンリーの激突は、単なるリーグ戦の一カードを超え、イングランド・フットボールが世界最強を証明する前夜の「最高峰のショーケース」であった。
特筆すべきは、1966年にイングランドで開催されたワールドカップとの深い関わりである。当時、スパーズの攻撃の核であったジミー・グリーブスと、バーンリーのサイドを切り裂いたジョン・コネリーは、共に1966年W杯優勝メンバーの栄誉を手にしている。
ジョン・コネリーは、ウェンブリーで行われたW杯開幕戦(対ウルグアイ)に先発出場した唯一のバーンリー所属選手であり、彼の存在は「小さな町(バーンリー)」のクラブがいかにエリートな才能を輩出していたかを象徴していた。
一方のジミー・グリーブスは、グループステージ全試合に先発したが、負傷により決勝戦への出場をジェフ・ハーストに譲るという、イングランド・フットボール史上最もドラマチックで悲劇的な「ヒーローの交代劇」の当事者となった。
1962年のFAカップ決勝でグリーブスがバーンリーから奪った先制ゴールは、まさに世界最高峰のストライカー同士が火花を散らした、W杯直前のイングランドにおける至高の瞬間の象徴であった。
また、ビル・ニコルソンとハリー・ポッツという二人の名将は、後にイングランド代表を支える戦術的トレンド(インテンシティの高い攻撃的フットボール)を、W杯以前からターフ・ムーアとホワイトハート・レーンのピッチで先取りして具現化していた。この「黄金の60年代」の記憶が、今なおバーンリー戦というカードに特別な情感を与え続けている。
