【コラム】ミルウォール時代のハリー・ケイン
このエントリーをはてなブックマークに追加 Check スパーズ関連のメディア報道・その他2017年3月12日



18歳でローンで南ロンドンのミルウォールへ移籍したトッテナムのストラーカー、ハリー・ケインは、日曜のFAカップでの対戦を前に、当時を懐かしく思い出している。

当時のアシスタント・マネージャーだったジョー・ガレンは、『降格するのは、ウチらかヤツらか』と言う状況だったとそのシーズンを回想している。ミルウォールはチャンピオンシップ(イングランド2部)の降格圏上を彷徨っており、対する破産申請をしたポーツマスは規定によって10ポイントをはく奪され降格圏に沈んでいた。

それは多々ある大決戦のひとつであった。固唾をのんで見守る15千人以上の観衆。その前で1人の選手がその試合唯一の得点をあげ、違いを作り出した。そのペナルティ・エリアの端からの低い正確なフィニッシュは、以降、彼のトレードマークとなった。その夜、ケインはそのゴールによって自身のミルウォールでのヒーローとしての地位を確立したのだ。

18歳の若きストライカーは、トッテナム・ホットスパーからシーズン後半いっぱいのローン加入だった。ミルウォールではその試合の前にハル・シティをホームに迎え2-0で勝利した試合で先制点。続く、やはりホームの「ザ・デン」での2-1で勝利したレスター・シティ戦でも、最初のゴールをあげた。

ミルウォールのシーズン終盤の復活劇を牽引したのはケインだった。ハル戦から5連勝を飾り、最終戦は引き分け。ホームにブラックプールを迎えたその最終戦で、ケインは終了間際に同点ゴールを決めている。最終順位は16位。降格圏からは17ポイント上回っており、結果としては楽々の残留に見えた。しかし、その最終結果は、苦しみ続けたシーズンや、その非常に困難な状況のプレッシャーを表すものでは決してなかった。

日曜のFAカップ・クウォーターファイナル、ミルウォール戦へ向けて準備にいそしむなか、ハリー・ケインはその心境をこう明かしている。

「ミルウォールでのローン時代は、僕の成長のなかでもとても大事な時期だったね。僕はまだ18歳だった。クラブは降格バトルのまっただなかにあって、それが僕を一人前にしたんだ。難しい極度のプレッシャーのなかでの試合を繰り返し、最終的に何とかそこから脱出することができた。素晴らしい時間を過ごしたし、また彼らと戦うのは面白くなるだろうね。僕が離れてからずいぶん変わったけど、とても楽しみにしているよ」

ケインにとって当初は決して簡単なものではなかった。FAカップの再試合の2試合、ダゲナム戦とレッドブリッジ戦で2ゴールを決めたが、チャンピオンシップでの初めの8試合は無得点。3試合目はホームでバーミンガム・シティに6-0で敗れている。しかし、ある契機がケインに訪れた。それがどんなものだったか、ガレンは記憶している。リーグ戦での初ゴールは、2012年2月の終わりのバーンリー戦。3-1で勝利した試合だった。これがきっかけとなり、ケインは14試合出場7得点でシーズンを終えている。

「ケインが居なかったら残留は不可能だったと言って間違いないね。彼をチームに加えるのはギャンブルだった。まだ若いし、ミルウォールと言うチーム、さらにはチャンピオンシップということもあった。非常にタフなリーグだからね。しかし、彼はひたすら得点し続けた。彼のゴールとそのプレー振りが我々の状況の全てを変えたよ」

このローン移籍は、当時ミルウォールの監督だったケニー・ジャケットとトッテナムのユース組織の責任者だったティム・シャーウッドのコネクションによる。2人はワトフォードでともにプレーしていたときからの友人同士だ。ライアン・メイソンも同時にローンでミルウォールへ移籍したが、足首の故障のため現在ハル所属のこのミッドフィルダーはほとんどケインと一緒に出場することはできなかった。

ミルウォールでプレーするのは難しいと言えば、それは当たり前のことと思われる。当時ケインは既に、シーズンの初めにトッテナムでのデビューを飾っていた。ハリー・レッドナップのもと、ヨーロッパリーグで6試合に出場。シャムロック・ローバーズ戦では1ゴールをあげた。ガレンの言葉は、こう説明している。

「ミルウォールの人たちの反応は『トッテナムから来たって?誰だこの青二才は?』と言う感じだった。その一途な姿勢とプレーの資質で、彼はそれに打ち勝ったんだよ」

「ミルウォールのサポーターは厳しいよ。いや凄いサポーターなんだ。味方に付いてくれれば、素晴らしいよ。だが、一度敵に回すと容赦はないね。個人的にはそういうところは大好きなんだ。だがハリーは全く臆してはいなかったね。ただ自分自身を信じていたんだ」

「1試合か2試合ほどかかったが、そこで契機を掴んだ。得点することが誰にとっても一番の自信となるんだ。一度得点をあげ始めるや、ケインはそのまま量産街道を突き進んでいった。彼を止める術はなかったよ、まったくね。私はフォワードの選手との仕事が多かったが、試合前やハーフタイムなどに、ハリーにはあまり多くを語る必要はなかった。常に『こう走るんだ、ボールを維持するんだ』などと言わなければいけない選手もいるが、ハリーは違ったよ」

「自分の能力をとても信頼していたが、非常に物静かだった。そうは言っても、トレーニングで思うように行かないことがあれば、彼にしてみればボールをもらえなかったらと言うことだが、率直に言うんだ。きちんとした言い方でね。内に抱えては置かないのさ。ほとんど手が掛からない選手だね。『僕はトッテナムの選手なんだ』って態度をチラつかせることも無かった。彼もライアン・メイソンも物事をわきまえた若者だったよ。クラブには長年の間に才能溢れる若者もいたが、そういう者もピッチの外では彼らとは全く違ったね」

ガレンの話は、折あるごとに同じ趣旨のことに戻っていった。

「トレーニング」。

それこそがケインのやりたがったことだった。トッテナムのマウリシオ・ポチェッティーノ監督は先週、トレーニング場から出ていくよう言われたケインが、どんなに不機嫌になるかについて語っていたが、それは正にガレンの言葉と一致する。

「20年間のコーチ経験で、ハリーほど練習に励む選手は見たことがないよ。いつもボックスの端からの練習をしていた。彼にはいつものことだが、本当にトレーニング・ピッチからつまみ出されなければ終わらないんだ」

「オフィスからそれを見ていたケニー(・ジャケット)はこう言ったものだ。『ジョー、もうあがれ。脚をつっちまうよ』。そして私はケインにこう言う。『おいおい、もう帰る時間だ。ケニーに殺されるよ』。するとハリーはムッとして、私に文句を言うんだ。『いや、もう少しやりましょうよ』ってね。私を見て不満そうにさ。アシスタント・コーチってのはあらゆる不平不満の吹き溜まりになるんだ」

ケインのキャリアのなかでも、あのポーツマス戦は重要な位置を占めている。

「ハリーがそう言ってるのを見たよ。その意義がどんなものなのかを思い知った節目だったと、彼は言っていたね。負けの可能性を考えるってのは酷いもんだ。ハリーもそう感じていた。一人前の男のフットボールさ。生活を懸けて戦っている男たちのね。彼はここのそういう環境で成長したんだ」

「もし負けていたら『今年は厳しい年になるな』と考えていただろう。だが一度勝つや、こう考えた。『OK。多分上手く行くさ』とね。ハリーのゴールは、ボックスの端からだった、いつものようにね。あのエリアからのシュートで、彼は完璧だった。私が見たなかでは、あのエリアからは彼がベストだね。彼にとっては6ヤードからのタップインのようなものさ。だがそれだけの厳しいトレーニングを彼はやっていたんだ」

すべてが終わった時、ケインはミルウォールのシーズンの最優秀若手選手賞に選出された。ガレンはこう振り返っている。

「サポーターたちは、クラブ所属の選手にあげたかっただろう。ローンで来た者じゃなくてね。だが、他に候補はいなかった。ハリーはそれだけ多くの実績を残したからね。彼以外には考えられなかった。彼一人が飛びぬけた存在だったんだ。ファンは本当に彼に心酔していたよ」