古巣での監督業のスタート-エスパニョール時代-
このエントリーをはてなブックマークに追加 Check スパーズ関連のメディア報道・その他2016年3月24日



バルセロナを本拠地とするエスパニョールへの移籍を決めたポチェッティーノは、1994年にヨーロッパへと渡った。彼はこのカタルーニャのクラブで人気を博し、12年間に渡って300試合近くに出場している。

選手としてのエスパニョール時代のハイライトは2000年のコパ・デル・レイ優勝だが、ポチェッティーノはその後エスパニョールを離れ、パリ・サンジェルマン、次にボルドーへと移っていった。再びエスパニョールへ戻ってきたときには大いに歓迎されており、2006年には再びスペイン国王杯を掲げている。

ポチェッティーノが監督への階段を登ったのは、その後すぐ、とはいかなかった。現役を引退してからエスパニョールの監督に任命されるまで3年近い年月が過ぎている。

その間に必要な資格を取得し、クラブの女子チームのアシスタント・コーチとして活動していた。

そして迎えた監督任命の時は、あまりに突然かつ緊急であった。スポルト紙でエスパニョールを担当しているジェルマン・ボア氏が当時を振り返る。

「2009年1月にチームが降格圏にいる時、ポチェッティーノはチームを引き継いだ」

「彼はそのシーズンで3人目の監督で、非常に重要なシーズンでのとてつもなく大きな挑戦だった。夏には新スタジアムに移行することになっていたからね。2部で新しいスタジアムのスタートを迎えることだけは避けたかった」

ポチェッティーノはビエルサのもとでのプレースタイルを採用し、その効果は即座に現れた。カンプノウで激しいライバル関係にあるバルセロナに2-1で名高い勝利に導いている。大幅に改善されたチームは好調を続け、最終的には十分に安全圏の順位でシーズンを終えている。

ポチェッティーノはその後3年に渡ってこの位置を維持したが、最後には切迫した財政上の問題と上層部内部の衝突が弊害となる。2012-13シーズンのスタートの成績不振によってポチェッティーノは解任されている。再び、ボア氏が語る。

「エスパニョール時代の彼について、1つだけ突出していることがあるとすれば、それはクラブでのあらゆる物事をコントロールする、そのやり方だね」

「エスパニョールでそれまでどのコーチも気にかけなかった小さなことをどんどん変えていった。選手たちがいつ何を食べるかとかね。彼の関わる全ても物事について彼が先導していった。彼の言うことに耳を傾ければ、誰もが納得させられた理由ばかりだった」

ポチェッティーノの仕事への熱意はとどまる所を知らず、周囲の者にもまた同様の高い質を求める。ボア氏はさらに続ける。

「彼は毎日トレーニング・グラウンドで長い時間をすごしていた」

「朝早くにトレーニングにやって来て、夜遅くに帰る。スペインのフットボール界で、これはそれ程当たり前のことではなかったよ」

「チームが時計のように正確に動くことを望んでいた。全てが完璧に機能する。選手たちだけじゃなく、チームの周りにある全ての物事がだ。医療班やアシスタントコーチ陣、クラブ広報など全てがね」

エスパニョールにおいて確立されたポチェッティーノの特徴とは、まさに今、ホワイトハート・レーンで見ることのできるものであり、積極的に若手を採用する姿勢である。3年間の在任期間で20人以上の若手をトップチームに引き上げている。



❏キャプテン、ダニエル・ハルケの死

その在任期間中、2009年にプレシーズンのトレーニングの後、心不全を起こしたキャプテンのダニエル・ハルケを失っている。享年26歳であった。

ハルケのガールフレンドは、その時、彼の子供を宿しており、数週間後の9月23日に女児が生まれている。その日は偶然にもエスパニョールが新スタジアムで初勝利を飾った日である。試合後、ポチェッティーノはその勝利をハルケの妻と子に捧げている。当時の様子を振り返るボア氏。

「あの悲惨な出来事はよく覚えているよ。あの事件が起こった時に私はイタリアにいて、エスパニョールを取材していたんだからね」

「事件が起こった日にフィレンツェからチームと一緒の飛行機でバルセロナに戻って来たんだが、機内は全く悲痛なほどの沈黙で満たされていた」

「その悲劇の数週間前にポチェッティーノはハルケにアームバンドを渡すことを決めている。すんなりと決まったわけではなかった。それまでのキャプテンはラウール・タムードで、彼はラ・リーガ史上でカタルーニャの最多得点者だったからね。だが、ポチェッティーノはキャプテンには、リーダーとして実際にプレーの行われているピッチの上で彼自身の分身のように機能して欲しいと思っていたんだ」

「その悲劇で、ポチェッティーノもチームメイトたちと同様にショックを受けた。プレーのリズムを取り戻すのに数ヶ月を要したし、そのせいで幾つか勝利を逃している」



ポチェッティーノがエスパニョールを率いた当時、バルセロナの監督を務めたグアルディオラは「アルゼンチンのプレースタイルを肌身に感じた」と評した。