子供のころの挫折ってのは面白いものだね。あの日のことを今でも鮮明に覚えているよ。当時、僕はアーセナルのユースチームでプレーしていた。言わば、敵陣にいたようなものかな。でも、それは大きなきっかけだったんだ。

 

 

子供のころの挫折ってのは面白いものだね。あの日のことを今でも鮮明に覚えているよ。チンフォード(ロンドン北部。旧ホワイトハート・レーンからは5kmほどのエリア)の自宅の真裏に公園があってね。父や兄と一緒にいつもそこへフットボールをしに行ってたんだ。ゴールも無し。ちゃんとしたピッチも無し。ちょっとした芝生と木立(こだち)があるだけだった。それでも僕らは満足だったんだ。当時、僕はアーセナルのユースチームでプレーしていた。言わば、敵陣にいたようなものかな。でも、それは大きなきっかけだったんだ。

8歳になったある日、父と一緒に公園へ行った。その時、前触れもなく父がこう言ったんだ。

「おまえに伝えることがある」

「うん、何?」と僕は言った。

 

そして、父が僕の肩に腕を回してこう言ったのを覚えている。

「いいかい。ハリー...。アーセナルは君を手放したんだ」

その時、自分でどう感じたのか正確には思い出せない。実際、それが何を意味していたのかすら分かっていなかったと思う。小さすぎたんだ。でも、父がどう言う反応を見せたか、それに対して僕がどう感じたかは覚えているよ。父は一切僕を批判しなかった。アーセナルも批判しなかった。それどころか、そんなことは一切、気に掛けていないように見えたんだ。そして、こう言った。

「気にしなくていいよ、ハリー。もっと頑張ろう。これからも練習を続けて、他のクラブを見つけようね」

 

今思うと、僕はもっとショックを受けても不思議じゃなかっただろう。息子をプロのフットボーラーにしたいと熱望している父親ならば、多くが全く違った反応を見せたんじゃないかな。だが僕の父は、何が起こっても僕にプレッシャーを与えるようなことは無かった。いつも前向きで、どんな状況でもお決まりの口癖は「さあ、進み続けよう」だった。

そして僕らはそうして来たんだ。

 

アーセナルを辞めた後は、しばらく考えて、もといた地元のクラブへ戻った。その後、ワトフォードのスカウトの目に留まってトライアルのオファーをもらったんだ。その後どうなったかは奇妙な縁だね。ワトフォードの一員としてトッテナム戦でプレーして、それがトッテナムのアカデミーに入るきっかけになった。白いシャツの方が僕には合っていたね。初めてアーセナルと試合したときのことを覚えている。その時からすでに反骨心があったんだ。馬鹿馬鹿しく聞こえるかも知れないけど...。放出されたとき僕はたったの8歳だったし。でも、彼ら相手に戦うたびにこう考えていた。

「よしっ、どっちが正しくどっちが間違っているか、見せてやろうじゃないか」

 

今になって思えば、僕にとって起こったことのなかで一番良かったことなのかも知れない。それまで無かったような意欲を僕のなかに芽生えさせてくれたからね。

 

 

プレミアリーグでの100ゴールを達成できて本当に嬉しいよ。トッテナムからローンで出されていた2年間、「プレミアリーグで1ゴールでも決められるチャンスは巡ってくるのだろうか」と自問する時が何度もあった。でも、その間、大いに学んだことも確かだ。2012年にミルウォールへ行った時のことを覚えている。僕らは激しい残留争いのなかにあった。知っての通り、彼らのファンは情熱的なことで有名だからね。他とはレベルが違うよ。ザ・デン(ミルウォールの本拠地)で戦った最初の頃の試合で、あるプレーでレフェリーが酷いジャッジを下したんだ。その時のたった一つだよ。突然スタンドのファンがピッチに物を投げ入れ始めた。もう色んな物をね。大量にさ。審判は試合を止めざるを得なくなって、観衆が静まるまで5分ほどかかったね。とても忘れられるもんじゃないよ。僕はまだ18歳だった。周りを見回して、「なんだこれは、もう...正気の沙汰じゃないね」って感じだったよ。

シーズンが進んで僕らはまだ降格圏を彷徨っていた。控室ではこんなこと言う選手たちもいた。

「おい君、もし降格したなら俺の週給は半分になっちまうんだ」とか「降格したら、俺は契約解除だよ」とかね。

家には小さい子供たちがいるような選手たちだ。その時から僕は試合を全く違った観点で見るようになったよ。本当にね。単なるスポーツとしてプレーしてるんじゃないんだ。家族を養うためなんだ、ってね。フットボールってのはどれだけ危ういものなのか。今、捧げているものが一瞬にして全て無くなってしまうかも知れない。ミルウォールでの経験のおかげて、もう子供じゃいられないって教えられたんだ。僕にとって大切な学びの時期だったよ。僕があそこで良いパフォーマンスができたのも偶然じゃないと思うよ。そしてもっと大事なことに僕らは残留できた。その経験があるからこそ、僕はいつでもミルウォールのファンとの間に深い絆を感じるんだ。たとえ、時々クレージーになろうとも、僕は彼らを愛してるよ。

 

 

スパーズが翌シーズンに僕を留めておきたいと思うほど良い活躍ができたはずだと思っていたけど、残念ながらまたローンに出された。本当に辛かった時期の始まりだったよ。一番落ち込んでいたのは、多分、レスター・シティにいた時かな。どうしてもチームに入り込めなかった。当時はまだチャンピオンシップにいたんだ。思い出すのは、自分のフラット(アパート)で一人この人生における酷い現実に直面していたこと。

「僕はチャンピオンシップのレスターでプレーできないのに...。どうしてプレミアリーグのスパーズでプレーできると思うんだ?」

あれが自分のキャリアの中で最初だったと言えるね。疑いが心の中に忍び込んできた。辛い感情だよ、疑念ってのは。ある夜、遅くに家族がやってきて、いろいろ話し合った。少しヒートアップしたかな。僕はひどく落ち込んでいて、もうここを離れたいと父に言ったんだ。とんでもない間違いを犯していたかもしれない。でも、本当に自分はダメだと思っていた。父はこう言ったよ。

「いいかい。努力し続けるんだ。やり続けるんだ。進み続けようじゃないか。全ては上手くいくさ」

 

数週間後、僕はまた一人でフラットにいた。当時すでにNFL(アメリカン・フットボール)にのめり込んでいてね。練習していないときは『マッデン(Madden NFL:アメリカン・フットボールのシミュレーションゲーム)』をやるか、YouTubeでニューイングランド・ペイトリオッツのビデオを観ていたんだ。そんなある日、偶然、トム・ブレイディのドキュメンタリーを見つけてね。それは、彼がNFLのドラフトにかかる前にいた6人のクウォーターバックについてのものだった。

それで分かったんだけど、トム・ブレイディはドラフトで199番目だったんだ。想像できるかい?それがどんなに衝撃的だったか。いい意味でね。その映画は本当に僕の心に響いたんだ。彼の人生のすべてで、誰もが彼の能力を疑っていた。カレッジに行ったときだって、コーチたちは彼から他のクウォーターバックに交代させようとしていたんだ。NFLのドラフトの前にスカウトたちが彼を計量する場面があったんだけど、彼がシャツを脱いだ時の光景は可笑しかったよ。ごく普通の男にしか見えなかったんだ。で、あるコーチが言った。

「このブレイディとか言う若造は背が高くてひょろっとしてるな。ウェイトトレーニング・ルームなんて見たことすらなさそうだ」

 

 

自分のことかと思ったよ。僕に対してもみんな同じことを思っていたからね。「そうだな、何と言うか、こいつはまともなストライカーには見えないな」ってね。

これには本当に刺激を受けたよ。ブレイディは心底自分を信じていたんだ。そしてただひたすら努力を続けた。「もっと上手くなるんだ」という野心に取り憑かれているかのようにね。僕にも強く通じるものがあった。妙に聞こえるかもしれないが、その時、頭の中で何か灯のスイッチがチカッと入ったんだ。レスターのフラットのソファの上、まさにそこでね。全く突然の出来事だった。自分自身に言ったよ。

「よーし、ハリー。僕もこの道を行くぞ。これ以上ないってくらい頑張っていればチャンスは必ず来る。それを掴んでやる!」

2、3試合後にミルウォール戦があった。昔のチームだ。でかいディフェンダーの一人が、多分、僕を怖気づかせようとしたんだろう。スローインの時に僕の真後ろで、こう言った。

「おい、ハリー」

僕は「うん?」と答えた。

「俺はまだイエローを貰ってないんだ」

「あ~、そう?」と僕。

「良かったよ。これからそれをお前に使うからな」

 

 

僕に脅しをかけてきたんだ。単純なことさ。スローインが来て、僕らは二人ともヘッディングに跳び上がった。よくある肘のつつき合いも少しあった。で、どうなったと思う?偶然、僕の肘が彼の肋骨の間に当たったんだ。彼は地面に倒れ込んで、痛みで顔をしかめていた。で、僕は彼を踏みつけることになってしまった。ちょうど降りた所に横たわっていたのでね。僕は何も言わなかったよ。ただ足が彼の上に降りてしまった。これが彼に対する僕自身の示し方さ。それは自分に対するものでもあり、他のみんなに対するものでもある。

「僕は誰も怖がったりしない」ってね。

 

翌シーズン、僕はトッテナムに戻ってきて監督のアンドレ・ビラスボアスに会った。彼はもまた、僕をローンに出したがっていた。いくつか良いクラブが僕を欲しがっていて上手く行きそうだったからね。でも、それは僕の夢とは違う。僕の夢はプレミアリーグでプレーすること。プレミアリーグでスパーズのためにプレーすることなんだ。

で、僕は監督に全く正直に言ったよ。「出ていきたくない」ってね。

その言葉が口から出たとき、僕は自分で「お~っと、言い方を間違ったかな」

監督はちょっと困ったように僕を見ていた。

で、即座にこう言ったんだ。

「このチームで僕を先発に起用すべきだと証明して見せます。毎週試合前の金曜に、先発には相応しくない、プレーできないって言われても構いません。でも、よそには行きたくないんです」

 

結局そうなったよ。僕を留めておいてはくれたしファーストチームと練習もした。この事は本当に僕の自信にとってターニングポイントとなったね。常に自分に能力はあると感じていたけど、あと一歩、前に出て立ち上がる必要があったんんだ。言わば、子供の頃からの夢がそこに見えている、まさに目の前に。でも、あと少しのところで手が届かない。誰かがそれを「はい」と言って手渡してくれえるのを待っている、みたいな感じかな。でも、人生では待っていても何も起こらないんだ。違うかい?

自分で掴みに行かなきゃ。

 

 

トレーニングでは絶好調だったけど、それでも試合には出れなかった。冬に監督が解任になってティム・シャーウッドが指揮を執り、僕にチャンスをくれたんだ。それからは、いわゆる「歴史が始まった」ってやつかな。最初の3試合で3ゴールを決めた。それはもう信じられない感覚だよ。特にホワイトハート・レーンでの最初のゴールはね。でも、本当のところは、その最初のゴール(ゴール・ナンバー1)を記録するその前に、僕が経てきた全ての道。それが今の僕を作っているんだ。

翌シーズン、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が来たとき、ご存じのとおり全てが変わった。僕にとってだけじゃなく、クラブにとってもね。マウリシオよりも大きな衝撃を感じた人物はいないよ。何故なら、素晴らしい管理理念をクラブにもたらしただけじゃなく、チームのみんなを一つにしたのさ。彼自身、凄いキャリアの持ち主だけど、そのことについてはほとんど話さないんだ。自分のことなんて一切ないね。全ては選手たちの手助けをすること。最高の選手でも上手くいかずに苦しんでいる選手でもだよ。もちろん、ハードワークを嫌って怠けていたら...そういう選手に対しては非情だよ。そこでお終い。試合に出れないし、話をする機会もなくなる。でも、彼に敬意を払い彼のために一生懸命やれば、彼はこの世のすべての時間を与えてくれるんだ。

 

 

フットボールの思い出で一番気に入っている瞬間は、何シーズンか前にハットトリックを決めたときかな。試合の後マウリシオから彼のオフィスに呼ばれてね。当時、僕たちの仲は親しいものではあったが、もの凄く親しいと言うほどではなかった。何の用事なのかは分からなかったよ。で、ドアを開けたら...。彼は赤ワインのグラスを片手にデスクに座っていたんだ。多分、上質なマルベック(フランス南西部のフルボディ赤ワイン。フランス以外ではアルゼンチンも生産)か何かかな。満面の笑みを湛えてね。僕に手招きをしながらこう言ったんだ。

「こっちへこいよ。写真撮ろう」

 

片手を僕の肩に回してもう一方の手にはワインのグラスを持って、写真を撮った。最高だったね。この時が「ワオ、この人はスペシャルな人だ」って思った最初かな。もう本当にファンタスティックな男だよ。もちろん彼を監督としても上司としても尊敬している。でも、フットボール以外の場では本当に友達でもあるんだ。彼のおかげでチームのみんなはとても近しくなった。僕らは本当の友達同士なんだ。今のフットボール界では珍しいことだと思うよ。

僕にとっては、アーセナルから否定されたことは人生に起こった一番良いことだね。2015年の僕にとっての最初のノースロンドン・ダービーの試合前、ブーツの紐を結んでいるときに、11歳の頃のことが頭に蘇ったんだ。ユースチームでアーセナル相手にプレーしたときのことだ。デジャブのようだったよ。僕は試合前はいつも頭の中でシュートシーンを正確に視覚化するんだ。左足からのカーブをかけてとか、ボックスの右コーナーから右足でのボレーとかね。僕のいつものやり方なんだ。本当に細かいところまでシナリオを作るんだよ。相手選手やそれこそ芝の刈り方とか、もう全部をね。

この時は、赤いアーセナルのシャツを着た守備の選手を映像化していた。鳥肌が立ったよ。

トンネルで待機している時、こう考えてたんだ。

「OK。12年かかったけど、どっちが正しくどっちが間違っていたか見せてやる!」

 

その日、僕は2ゴールあげた。86分の決勝ゴールは、それまで試合前の視覚化でも思い描いたこともなかったくらいだ。ヘディングだった。多分それまで決めたヘッダーの中でも最高のものだね。それがネットに突き刺さったときの感覚と言ったら...。自分のキャリアの中でもあれほどの恍惚感は経験したことがないよ。

 

試合終了の笛の後、ピッチを一周りして、ファンに拍手していた。その時の感覚を覚えているよ。「な、そう言っただろう」って感じさ。

単にアーセナルに勝ったと言うだけではなく、もう少し奥深いものなんだ。何かを証明すること。自分自身に、そしてそれまでの道程のあらゆる場面で僕を信じていてくれた家族に。ミルウォールやノリッチ、レスターにいるときでも、自分自身で本当にやれるのかどうか疑わしくなっていた時ですらね。

プレミアリーグで100ゴールを達成した今は、何人かの人たちにお礼を言うのに絶好の機会だ。

ありがとう。思わしい結果が出ない時でも支えてくれたフィアンセのケイト。

ありがとう。アーセナルからリリースされた後、公園で僕の肩に手をまわしてくれた父。レスターのフラットで最悪の時間を過ごしていたときに、僕を諭してくれた家族のみんな。

ありがとう。僕をあちこち送り迎えするための運転に数えきれないくらいの時間も費やしてくれた母。いつもお母さんとしてそこにいてくれた。

ありがとう。チャーリー兄さん。気の遠くなるような時間を僕との1対1のプレーに付き合ってくれた。そして時々、テディ・シェリンガムみたいにやらせてくれた。

ありがとう。トム・ブレイディ。生まれてこの方、ウェイトトレーニング・ルームも見たことないようなヒョヒョロに見える奴らに希望を与えてくれた。

ありがとう。チームのみんな。特に試合に出れない時にトレーニング中にわざわざやってきてこう言ってくれた仲間。「君は十分プレーするに相応しいよ」と。その言葉は当時の僕には世界の全てだった。

ありがとう。マウリシオ・ポチェッティーノ。ストライカーとして僕から最高のものを引き出してくれた。

そしてもちろん、トッテナムのファンのみんなにありがとう。子供の時からスパーズのためにプレーするのが夢だった。長い間、僕のモチベーションは、眼を瞑って映像化するシーン、プレミアリーグでアーセナル相手にゴールすることだった。今はもう何回も実現したし、それは決して色あせることはない。

でも、今、僕には新しいモチベーションがある。今、眼を閉じて思い描くのは、新しいスタジアムでチームメイトたちと一緒にプレミアリーグのトロフィーを掲げている場面だ。その感激のためには次の100ゴールを引き換えにしてもいいよ。

ここ数シーズン僕らは優勝に近いところにいる。そのギャップを埋めるのはただ一つの方法しかない。答えは至極当たり前で申し訳ないんだが。多分、父もこう言うだろう。努力し続けること、やり続けること、進み続けること。

COYS!

ハリー

(寄稿:ハリー・ケイン)